◉虚しい騙しごとの哲学
ここから数回、西田幾多郎、ヘーゲル、マルクスなどの哲学者の名と「論」が続きます。
聖書では、
「あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。
それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。」コロサイ人への手紙 2:8 口語訳
とか、
「また、エピクロス派やストア派の哲学者数人も、パウロと議論を戦わせていたが、その中のある者たちが言った、
「このおしゃべりは、いったい、何を言おうとしているのか」。
また、ほかの者たちは、
「あれは、異国の神々を伝えようとしているらしい」と言った。
パウロが、イエスと復活とを、宣べ伝えていたからであった。」使徒行伝 17:18 口語訳
と、哲学に対しては批判的・対立的です。
キリスト教が哲学の軍門に降った時代がありました。
その時代、組織神学では、キリスト教の教義が真理であることを、哲学によって解明することが何より大事な課題と考え、宗教の一般的本質の立場から見てキリスト教はその宗教の本質に根ざしており、そしてまたその本質を最も明白に表現しているものであることを明かにすることに特に力が注がれた時代でした。
哲学の軍門に降った組織神学は宗教の本質を論じる宗教哲学に依存するものと考えられたのです。
そこではキリスト教の真理を明かにするものは哲学であるということになり、そういう研究の一分野として十分取扱い得たわけです。
その結果、聖書神学は歴史学の一分野にすぎず、また教義学は哲学の一分野にすぎないということになり、神学という独自の学問は消失してしまったのです。
しかし聖書をせめて一度でも真剣に「通読」した人ならば、聖書を正しく知るためには、歴史的方法によって十分に訓練された頭脳でなければ、聖書正典的理解が浅薄となり、平面的になるおそれがあるということがわかるでしょう。
しかしこれは歴史的方法がただちに聖書正典的方法に導入されるということではないのです。
このことは最もよく歴史的方法が問題とする聖書の「史料」による「普通史」と、聖書正典的方法が問題とする聖書の現形による「救拯史」との別を明らかにするのに役だち、その混合または混同を避けるために必要なのです。
「救拯史」と雖も、それが一つの「歴史」である以上、その理解において、「普通史」の理解から一つの反対の方向における助けを受けることが出来るのです。
歴史的方法に熟した人であれば、その理解は、
「それは普通史の問題で、救拯史の問題ではない。」
という判断、またはその逆の判断が、ただちに決定出来ます。
この関係は、「哲学」と「神学」との関係にきわめてよく似ています。
神学をする人が哲学を学ぶのは、哲学そのものを生まのままで神学の中に導入するためではなく、哲学によって論理的訓練を受けた頭脳によって、神学を正しく研究するためです。
たとえば神学においても「絶対的」といい、「相対的」といい、「妥当する」といい、「妥当しない」といい、「連続的」といい、「非連続的」といい、「本質的」といい「非本質的」といい、「実体的」といい「属性的」といい、常に哲学的用語を用いています。
これらの用語は当然哲学的表現を形造るものです。
これがなければ神学することもできないのです。
したがって哲学的訓練を欠いているとき、その神学者の論述はあいまいなものとなり、明瞭を欠くものとなります。
「体験なき神学は空虚にして、神学なき体験は盲目なり」
この両極に陥らないことが肝要です。
今回から数回、上記の意味での最低限の聖書に関する哲学的見解をみます。
◉「逆対応論」の示す問題性
大乗仏教、特に浄土真宗と、キリスト教との類似性はよく指摘されます。
増谷 文雄氏(ますたに ふみお、1902年2月16日 - 1987年12月6日)もその『仏教とキリスト教の比較研究』の中に、両宗教の差異と相似を下記のように記しています。
「仏は神ではない。
神は仏ではない。
この二つの高き存在者は、その由来をも、そのあり方をも、その背景をも、まったく異にしている。
したがってまた、その救済のなり方、ならびにあり方も、当然、相異なるものである。
しかるにもかかわらず、人々がこれらの高き存在者によって救済にあずからんとする仕方、言いかえると、念仏門の人々が阿弥陀仏にたいする態度のあり方と、キリスト教徒が神にたいする態度のあり方との間には、その根本構造において、蔽うべからざる平行の存することを、わたしどもは否定することができない。
仏は神でなく、神は仏でないけれども、それらにたいする人間の態度は、人間がそれらを受け取る受けとり方には、否むべからざる相似のものが存するのである。
そして、一部の人々が、あえて『み、だ、という神』というがごとき表現をこころみんとするのは、疑いもなく、かかる受け取り方の平行に着目してのことと理解することができる。」
と(1973年、筑摩書房、173、193、206-207頁)。
キリスト教の立場からも、浄土真宗の主体的、他力的志向はきわめて深い親近感をよびおこされるように思います。
浄土真宗の他力志向は、「浄土真実」の強調として表われ、それがいかに「自力の否定」をその本質とするかということは、親鸞(しんらん、承安3年4月1日 (新暦1173年5月21日)- 弘長2年11月28日(新暦1263年1月16日))自身がこれをその『歎異抄』の中で「如来よりたまわりたる信心」という言葉で表現していることによってもあきらかです。
そこには、「他力の強調による律法主義の超克」の方向が示唆されています。
次に浄土真宗の主体的志向については、久松 真一氏(ひさまつ しんいち、旧字体:久松眞一、1889年6月5日 - 1980年2月27日)の
「私は仏教を、信仰とか、観法とか、神人合一とかではなくて、覚であると特色づけたい。」
という提言がされているように、その特徴は、それが本来「覚の宗教」であるところに注目させられます(久松、西谷編『禅の本質と人間の真理』創文社、26頁)。
西田 幾多郎(にしだ きたろう、1870年5月19日-1945年6月7日)の西田哲学の独自性も「覚」の宗教に立脚したものです。
したがってそこには「個物の重視」があり、それが西田哲学を、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770年8月27日 - 1831年11月14日)やカール・マルクス(Karl Marx、1818年5月5日 - 1883年3月14日)の「それ」から区別させるのです。
岩崎 武雄氏(いわさき たけお、1913年11月10日 - 1976年10月20日)はその点に言及して、
「ヘーゲルにおいてもマルクスにおいても歴史の過程のうちにおける個人の役割はほとんど認められていなかったのに対して、西田哲学はあくまでも個人の実践の意義を強調し、いかなる一般者によっても決して限定しつくされない個物の意義を強調するのである。」
とのべています(『弁証法』東大学術叢書1、56頁)。
その意味で、一般者の自己展開を説くヘーゲルの弁証法を「過程的弁証法」とよび、絶対無の場所の自己限定を説く西田のそれを「場所的弁証法」とよぶのがふさわしいという(同書、54-56頁)。
なお、八木 誠一氏(やぎ せいいち、1932年2月15日-)は、西田哲学の弁証法は、「一即多」即「多即一」、「主語即述語」即「述語即主語」とみる可逆性を特色とするところから、それは「可逆的弁証法」とよばれうることに注意を喚起し、かつ、西田哲学の基本原理である「絶対矛盾の自己同一」の理論も、大乗仏教般若系思想に特有の「即非の理論」であることを指摘しています(「神学と文化科学」『日本の神学』13、1974年、42頁以下)。
後述するように、西田哲学の叙述の中には、神と人との「不可逆性」への言及が、皆無だというのではありません。
だが全体的にみると、不可逆性より、可逆性の志向の方が優位を占めているという印象を免れられません。
したがって、以上の概観から、西田哲学は、場所的弁証法としてはすぐれてダイナミックな主体論(または主体道)でありつつ、可逆性の優位に立つ場所的弁証法的自覚としての宗教哲学として性格づけられます。