2020年09月06日

聖書正典の伝統的教義的理解

「聖書正典信奉の根拠」

カルヴィンの「定かな公理」としての聖書正典信奉は、キリスト教会の基本的立場で、これがなければ、教会は教会ではなくなります。(次回、A信奉の根拠❷で書きます。)

しかし、この立場はプロテスタント神学史を通して、正しく保持されたとはいえません。

聖書正典に対する全面的否定も、部分的否定もともに、一言でいえば、聖書の歴史的理解に立った結果だったのです。

◉聖書正典の否定論

歴史的聖書理解を根拠として主張されてきた正典否定の理論は、多種多様ですが、次の諸点に類別できます。

@聖書正典中のある書物は、その倫理的、宗教的価値が非常に低いもので、とうていこれを「正典」として、教会の権威とするには足らないというものです。

これは一般的、倫理的判断から見れば、きわめて正しく、聖書正典中のある書は、必ずしも倫理的に価値が高い書物ではありません。

たとえば、「雅歌」あるいは「エステル書」などは、倫理的価値を認めることはできません。

また「律法」として尊まれたレビ記などは歴史的価値は認められても、これに倫理的価値を見ることは困難です。

この意味で、この論者の反対は正しいのです。

しかし聖書正典が、このような観点から決定されたものでないことが理解されると、論者の言葉がまったく見当違いであることがわかります。

端的には、
「あなたがたは、聖書の中に永遠の生命があると思って調べているが、この聖書は、わたし(キリスト)についてあかしをするものである」(ヨハネ5:39)
というイエスの言葉によるのです。

A聖書正典にはイエスの教説や使徒たちの書簡が、全部もれなく含まれているわけでないから、正典としては十全でない、というものです。

この議論は論者が意味するかぎりにおいては正しい議論です。

しかし、聖書正典とはイエスの教説と使徒の全書簡とをもれなく網羅することを目的とするものではない、ということを知れば、この否定理由が見当違いであることがよくわかります。

新約聖書の中にさえイエスのみ言葉で、まったくイエスの教説と生涯をしるすことを目的とした福音書中に収録されていない言葉があり、しかもその言葉は使徒たちの間によく記憶されたものであったことを考えれば、上記の目的がよくわかります。

【参考】(使徒20:35)
「わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また
『受けるよりは与える方が、さいわいである』
と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである。」(使徒20:35)


聖書が正典として収録された目的とは福音書については、
「この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」(ヨハネ20:30-31)
といわれており、けっしてその目的がイエスの教説の全部を収録することにあるのではなく、読者に「生命を得てもらう」点にあるということが明らかにされています。

また使徒の書簡でも同様に、パウロはコリント教会にあてて、
「前の手紙で」とTコリントとは別に書き送った書簡のあったことを示しています。

【参考】
「わたしは前の手紙で、不品行な者たちと交際してはいけないと書いたが、 それは、この世の不品行な者、貪欲な者、略奪をする者、偶像礼拝をする者などと全然交際してはいけないと、言ったのではない。
もしそうだとしたら、あなたがたはこの世から出て行かねばならないことになる。」(Tコリント5:9-10 )


また、
「この手紙があなたがたのところで読まれたなら、ラオデキヤ人の教会でも読まれるようにしてください。」(コロサイ4:16)
と、コロサイ書と交換して読む必要のある書簡のあったことを示していますが、新約聖書正典の結集者は、それらの書簡が存在しないことで、その結集に当たって使徒書簡の結集を不十分として中止しなかったのです。

したがって聖書正典を、この否定論者のいうような意味に理解することそれ自体が誤りであることがよくわかります。

B聖書正典は全教会会議で一致して決定したものでないから、これを教会全体に対する絶対的権威とするのは、正しくないという議論です。

これは一部正しく、一部誤っています。

個々の書物の聖書正典への決定は、けっして一度に決定されたものではなく、徐々に個々の教会で尊奉されつつまとまるようになったもので、それが教会会議で採りあげられ、数次の教会会議を経て、ついに決定を見るに至ったものです。

したがってほぼ集められるまでの過程は、教会会議によったものではありませんでしたが、最終的に決定を見たのは、たとい数次の会議を経たものとはいえ、全教会会議で定まったということができます。

この意味で、この否定論は一部は正しく、一部は誤っているのです。

C聖書正典はその決定に当たり、一応は決定されたようなものですが、その内容としての書物の範囲については各種の異見がある、という反論です。

たとえば新約聖書の「被疑書」に関する反対などはそのよい実例ですが、一つの書物が聖書正典中に入れられているということによって、これを教会の絶対的権威とするということは正しくないという反対理由です。

この反対理由は、大事な一点で、問題を誤解しています。

正典決定という「理念」に関する問題と、決定された正典の「範囲」に関する問題とを混同している点です。

ツァーンとハルナックとの結論の差異の起こる点ですが、同時に今日までの正典反対論者の根拠は、多くこの誤りの上に置かれています。

この二つの問題は次元を異にする問題で、区別して論じるべきものです。

【注】(ハルナックの論)
新約聖書が明瞭な意図をもって結集されたものであることは、自由主義神学の大家である故ハルナック教授も指摘しています。
すなわち、彼によると、使徒行伝がルカの著作であるにもかかわらず、ルカ伝とは引き離して、しかも著者名をつけず新約聖書の中央におかれていることは、新約聖書全体理解の鍵としてこの書が位置づけられていることを示すものであるというのです。

【注】(自由主義神学)
広義の自由主義神学の聖書正典観は、聖書正典の自動的結集観に立ち、その文献性によって正典性を理解する点において、その特徴と誤りがあります。

聖書正典の自動的結集観に立つとは、聖書正典を人間の集団としての、キリスト教会によって結集されたまったく一つの人為的歴史的に生み出されたものと見、その背後になんら神的なるものの直接指導のあったことを認めないことをいうので、聖書の文献性によって、その正典性を理解するということになるのは、その当然の結果です。

この正典観においては、聖書の正典性と文献性との両極性はまったく失われ、正統主義神学の聖書正典観とちょうど正反対の立場が採られ、また正反対の誤りが犯されているのです。

この正典観は、ただこれ一つのみで立っているものではありません。

その基底に「聖書の神言人言」の緊張関係を解体し、これを一方的に「人言であると断定する」聖書本質観があります。

ちょうどそれは正統主義神学が、その聖書正典観の基底に、「聖書の神言人言」の緊張関係を解体し、これを一方的に「神言であると断定する」聖書本質観をもつのと対照的関係に立っています。

しかし両者の基底が、「聖書の神言人言の緊張関係」を解体した点においては、まったく同一の誤りに陥っているのです。

この聖書正典観を生み出したものは、啓蒙主義以来発達してきた、合理主義神学と歴史的批評的聖書研究とです。

この両者の結合したものが、古くは第十八世紀のドイツにおけるゼムレルの合理主義的正典観となり、近代神学の祖シュライエルマッハーのそれを経て、ヘーゲル哲学に立つ、テュウビンゲン学派の新約学、グラーフ•ヴェルハウゼン学派の旧約学および宗教史学派の全聖書学となり、ついに聖書の神言性と正典性との全的否定となったのです。

この神学における聖書の神言性と正典性との全的否定は、しかし一度に起こったものではなく、正典性否定が神言性否定に先行したのです。

これは一見不思議なようですが、それはキリスト教伝統が根深く植えつけられ、その教育が広く普及している欧州であったために、公的に聖書の正典であることを否定しても、私的にまた個人的には、聖書が神言であることが、感情的にあるいは体験的に味わわれていたので、これを一掃的に否定できなかったためでしょう。

ちょうどそれは現今の自由主義神学者が、本質的には聖書に神的なものを肯定しながら、形式的にはその正典性を否定しているのと同様です。

ここでは聖書の神言性人言性、正典性文献性の両極的把握とか、緊張的理解を語るとかはまったく無意味になってしまいました。

こうして宗教改革者の正典信仰は失われ、ドブシュッツの「聖書の正典性は永遠に棄却すべきである」という主張が、躊躇なく、公表されるようになったのです。

(以下、ウキペディアより引用)
科学的な見方(進化論等)を許容し、聖書に記されている神話的要素(天地創造、ノアの箱舟、バベルの塔、ヨシュア記等)を必ずしも科学的・歴史的事実とは主張せず、宗教的に有益な寓話(若しくは神話・説話・物語等々)とみなす。
聖書本文に対する批評的な研究・解釈、非神話化を支持し、書かれた言葉が書かれた時代の人々にどう読まれたかを解釈の第一義とする。各書の成立に纏わる伝説(モーセ五書の著者はモーセ、イザヤは一人の預言者イザヤによる、など)を必ずしも採用せず、聖書無謬説、逐語霊感説、聖書無誤を採らない。
モーセ五書の記者がイスラエルの指導者である預言者モーセであるという伝統的な理解を否定し、文書仮説を支持する。
古文書学の他、考古学、史学の成果も最大限活用して古代の信仰のありようを分析し、そこから現代の課題に合わせたキリスト教信仰を再構築しようとする。
リベラルやフェミニスト神学は人工妊娠中絶擁護のプロチョイスの立場をとるとされる。
一部の甚だしく急進的な派では、イエスの母マリアの処女懐胎やキリスト教信仰の中心ともいえるイエスの復活をも事実とはせず、神の存在をも肯定しない。
この段階に達すると、聖書と基本信条に示される三位一体の神を信じる、歴史的なキリスト教の正統信仰の枠から、完全に逸脱する。異端神学というより、その宗教性そのものが根本から問われる。
用語「自由主義神学」は、これら科学や聖書学の成果を謙虚に受け入れる理性と保守的信仰を両立させている層から、宗教的に甚だしく形骸化している


D正典決定ということは、単なる歴史上のできごとに過ぎず、一時代一地方の制約のもとに決定されたものだから、その時代がこれを権威としたことは正しいが、これを永久に権威にしようとすることは、誤っているという点です。

この議論は、信仰的立場に立って答えないかぎり、答えることのできない強力な反対理由です。

およそどんな「こと」にしても、歴史上のできごとであるかぎり、それが絶対的権威をもって永久に後世にのぞむというようなことは、考えることさえできないことです。

この立場からいえば、聖書正典は、その結集時代の権威として歴史的価値を認め、現在に対してはこれを古典として、参考史料として取り扱うということにならざるを得ないのです。

歴史的立場に立つという前提を肯定するかぎり、これほど正しい結論はありません。

しかし、ここに一つ、考えなければならない点があります。

それはイエスという歴史的な一人格、その十字架という歴史的なできごとを、永遠に絶対的権威として信奉するというキリスト教は、この論者の立場からは成立しないではないか、という一点です。

もちろんイエスとその十字架との絶対的権威を否定するという近代自由主義神学(上記の【注】参照)の最左翼の立場に立つ人々には、この一点はけっして「考られる」一点ではありません。

しかし福音主義的立場に立つかぎり、キリスト教という信仰は、良くも悪しくもこの一つの「歴史的できごと」に永遠的にして絶対的な権威を認めたところに存在するのですから、少なくともその意味では、単なる一つの歴史l的できごとに過ぎないこの「正典結集」に永遠的意味を見、かつ永遠的権威を見るということに理論的矛盾はないのです。

こう考えてくるとこの否定論も成り立たたなくなります。

以上、諸否定論は、すべて近代の歴史的聖書理解に立脚して、聖書正典に向けられたものです。

これらの諸否定論を見るとき、歴史的立場に立つかぎり、正典確立論を論証することは不可能です。

このことは宗教改革時代から多少神学者の間にも感じられていたことです。

「聖書正典信奉の根拠」

◉「聖書は正典である」は信仰告白

宗教改革者は、このことを信仰的に明らかに表現し、ことにカルヴィンは、きわめて明瞭に論じており、相対的な歴史的論証によらず、絶対的な信仰的論証としての「聖霊の内的証示」が強調され、それに従って後のプロテスタント教会において、非常に重要な位置をもっているのです。

カルヴィンはこの「聖霊の内的証示」が、聖書信仰に対して、絶対的不可欠であることを論じる前に、その「キリスト教綱要」で次のことをいっています。

「理性の耐えるかぎりにおいて、十分堅固に聖書に対する信仰を証明することができないわけではない」
といい(1篇8章)、その証明がいかなるものであるかを論述しています。

そしてその終わりに、
「しかしこれだけでは、天の父が聖書のうちに自己の神威をあらわにして、その尊厳をいっさいの争論の外に置きたもうまでは、聖書に対する堅き信仰をもたらすに、十分たり得ない。
されば、実に、聖書は、ただ聖霊の内的説得に、その確実性が基礎づけられた場合にのみ、神についての救拯的認識を発揚するに足るであろう。
それゆえに、実に、これを確証するための人間的証言は、もしも我々の弱さのための第二義的支柱として、主要にして至高なる証言に、追随するのみであれば、無益ではないであろう」
とのべています。

このことは、彼が今日いうところの「歴史的証明」を、十分に認めていながらしかもそれが、聖書正典信奉の根拠とはなり得ないことを熟知していたことを示しています。

そしてそのために、彼が聖書信奉の根拠として、「聖霊の内的証示」の不可欠なことを論じているのです。

この意味で、この「聖霊の内的証示」こそ、プロテスタント聖書正典信奉の唯一の根拠なのです。

すべてのプロテスタントは聖書信仰に関するかぎり、何にもまさってこのことを明記しなければなりません。

【注】
理性的に聖書を読んだ結果を「聖書の正しい読了観」として掲載してあります。

「聖書の正しい読了観」



聖書正典が教会に対して何ゆえに、「正典」であり、「権威」であり、「基準」であるかという問いに対する唯一の答えは、正典がそれ自身をそれ自身として教会に迫ったゆえであり、その迫ったという事実は神ご自身なしたまいしことである、ということであり、教会はこれを「聖霊の内的証示」によって、常に新しく聞かされ、信仰の決断において再確認されるのです。

したがって正典認容は、「信仰告白」です。

以上のことは具体的にはどんなことを意味するでしょうか。
 
聖書正典が、それ自身をそれ自身として「教会」に迫ったというとき、歴史的にまた具体的に聖書正典結集の局に当たったのが「教会」であるということが、そこに明らかに認識されています。

この意味で「教会の権威なくして聖書は認証的ならず」とヨハン・エックがいったことは正しいのです。

しかしそれにもかかわらず、この言葉はきわめて誤られやすいのです。

この言葉が真に意味する純粋の歴史的意義が誤られないように、すなわち「聖書を信奉するのは教会の指令による」とするカトリック的正典観に陥らないように、プロテスタント教会は常にこれを警戒し、これをその信条において明瞭に表現しました。

【注】(創世記45章「ヨセフの物語」梗概)
兄弟のしっとから少年時代にエジプトに売られたヨセフが、数十年後にエジプトの宰相としてその兄弟に面接した時の言葉を、創世記は次のようにしるしています(創世記45:4以下)。
「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。
あなたがたがエジプトに売った者です。
しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。
神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。
この二年の間、国中にききんがあったが、なお五年の間は耕すことも刈り入れることもないでしょう。
神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。
それゆえわたしをここにつかわしたのは、あなたがたではなく、神です」。

ヨセフはその言葉の中で、二種の歴史解釈を述べています。

第一は、信仰者にも、無信仰者にも明らかな、歴史解釈です。

すなわちヨセフがエジプトに来ているのは、その兄弟がしっとからどれい商人にヨセフを売り渡した結果である、という普通の歴史解釈に相当するものです。

ヨセフはこの「普通史」を述べますが次には神信仰から見た、この同じ出来事の異なった解釈を、
「それゆえわたしをここにつかわしたのは、あなたがたではなく、神です」と述べています。

この第二の解釈が、ここにいう「救拯史」に相当するものです。

それではこの二種の歴史解釈はいったいどんな関係にあるのでしょうか。

第一は、ヨセフの兄弟が彼をエジプトへ売ったという叙述で明らかなように、「人間を主体とした」歴史解釈です。

ところが第二は、「神を主体とした」歴史解釈です。

つまりこれは、過去に対する、神信仰からの再解釈です。

これが前述の「救拯史観に立脚した歴史解釈」に相当するものです。

ところで、この異なった二つの解釈の関係も、
「それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です」
というヨセフの言葉に表現されています。

神信仰は、つねに「人を主体とした見方」から、「神を主体とした見方」へ転換させずにはやみません。


神信仰は、単にその特定の個人を救うだけでなく、その個人に関わる全連関をも、その現在の信仰から再解釈させずにはおかないからです。

このような、信仰による「過去・現在・未来」の再解釈から結果する歴史解釈を、「救拯史的解釈」と言います。

その意味から、旧約聖書は、選び主なる神に対する信仰から見直された選民史であり、新約聖書は、教会の首かしらなるキリストへの信仰から見直された教会の歴史です。

しかも旧約聖書の選民史は、
「わたし(キリスト)は律法また預言者(旧約)を廃するために来たのではない、かえってこれを成就するためである」
という、イエスの言葉に向かって方向づけられた救拯史です。

救拯史の方向がイエスに向かう、ということは、救拯史の焦点はキリストであるということです。

そして厳密には、復活した「十字架のキリスト」こそ、救拯史の焦点です。

それは要約すれば、
第一に、キリストは世のはじめの先から神と共にあり、世のはじめの先から屠(ほふ)られたもうた御方であること(ヨハネ1:1-18、黙示録13:8)。

第二に、神の国の到来という、神の宇宙救拯の暁、神の国に入国を許される者とは、「屠られたもうた小羊のしるし」を額におびる者に限られていること(黙示録14:1、17:14)ということです。

上述の点からしても、「十字架のキリスト」こそ、聖書を貫く救拯史の焦点であることが明らかになります。

要するに聖書は普通史の概念をもっては解釈できない主客転倒の史観に立つので、解釈者は、普通史と異なった歴史解釈をなさせた「もの」を究明することをその目標としてかからなければならないのです。

「聖書正典信奉の根拠」

◉「信仰が要求する確実性」

1559年「ガリア信条」または「フランス信仰告白」では、国王に対する献辞の次に、第三項に聖書66冊の書名をあげ、次いで第4項に、
「我らはこれらの書を正典的にして、我らの信仰の確実なる基準なることを知る」
といい、進んでその根拠を、
「教会の一般的一致と承認とによるというよりも、聖霊の内的光耀と証示とによる」
ものとし、その、
「聖霊は我らをしてこれらの書を他の教会的諸書より区別するこを得しめる」
と宣言しています。

これこそ全プロテスタント教会とその信仰者との聖書正典信奉の根拠を、最も明確に、代表的に表現している言葉です。

このことは宗教改革に当たって、改革者たちが、対ロマ教会論争において、徐々に教えられたことでした。

たとえばカルヴィンは、その「キリスト教綱要」の第一版(1536年)にはいまだ書かれていなかった聖書に関する部分を、1559年の版において新たに第1篇第2章より第9章までに加えました。

そこに彼は、
「聖書についての最上の論証は、いたるところにおいて語りたもう神からして、採らるべきである」
としるし、
「人間の理性やあるいは判断やあるいは臆測よりも以上の、すなわちみ霊のかくれたる証言よりして、この説得を求むべきである」
とのべ、進んで
「しかも議論によって、聖書に対する堅固な信仰を築こうと努める者は、僣冒の行動をなすものである」
と断定しています。

そして「信仰が要求する確実性」は、人間の議論によって与えられるものではなく、
「しかし、み霊の証言はいっさいの理論にまさると予は答える。
けだし神のみ、彼の言葉について正当に、自己の証人たり得たもうように。
同じく『言葉』もまた、み霊の内的なる証言によって印せられるまでは、人間の心情の内に信頼を見いださないであろう」
と語っています。

さらにこの「聖霊の内的証示」によって教えられたものについて、
「このゆえに、聖霊によって内的に教えられている者らは、聖書の内に確乎として満足し、かつ聖書はそれ自身において信ぜらるべきものであって、証明や論証にこれをゆだぬべきでなく、み霊の証言によって、我々が抱くべき確実性を獲得することが、確定したるものとせよ。
けだし聖書はそれ自身の威厳によって尊敬を博するとはいえ、み霊によって我々の心情の内に印せられるまでは、ついにおごそかに我々を感動せしめない。
それゆえにーー我々は、我々の判断を基礎づける論証や、蓋然的論証を探究するのでなく、我々の評価を超越して置かれたものに対するかのごとくに、聖書に我々の判断と知解とを従属せしめるのである。ーー
それゆえに、かくのごとく、これは論証を要しないところの説得である」
と論断しています(第1篇第7章115)。

ここにプロテスタントの「聖霊の内的証示」と、それが聖書正典認容の根拠であることが、きわめて明瞭に示されています。

⚫︎「聖霊の内的証示」の乱用

近代に至って、アルブレヒト・リッチルがこれに対して反感を表明するまでは、プロテスタント神学の一隅において理解されてきたのです。

これに対するリッチルの反感は、二つのことを示しています。

一方には、プロテスタント教会において、この教えが乱用され、まったく主観的にもてあそばれたので、リッチルの反感が刺激されたことを示し、他方には、近代神学においてこの教えが、理解されなくなったことを示しています。

しかしこの「聖霊の内的証示」こそ新約聖書の主張であって、これを否定するときパウロ書簡の中心はまったくのぞかれることとなり、これを認識しなかったら、それはまったく不可解の書となり終わるでしょう。

カルヴィンがくり返してしるしている「信仰が要求する確実性」とは、この「内的証示」による以外に道はないのです。(中山訳第2巻68ページ第12行、69ページ第6行その他)

たとえばパウロは、
「御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。」(ロマ書8:16)
としるしていますが、ここに「聖霊の内的証示」の代表的な確認の言葉があり、それによる「確実性」の自覚があります。

聖書が「正典」として信奉されるのは、このような「聖霊の内的証示」によるもので、しかもその証示は「わたしたちの霊と共に」あるのです。

この教えが理解できないところ、または否定されるところには、正しい意味のプロテスタント聖書正典観はありません。

⚫︎「人的信仰」と「神的信仰」

この「聖霊の内的証示」の説明のために古プロテスタント教義学は、信仰を「人的信仰」と「神的信仰」とに分けました。

あらゆる人間的論議や説得の力は、人間を「人的信仰」までは導くことができますが、しかし、聖霊によらないかぎり、「神的信仰」に導くことはできない、ということを明らかにしたのです。

聖書についても同様のことがいわれるのであって、どんなに力強い人間的説得も、聖書を「正典」なりと信奉させる力はありません。

それは一に「聖霊の内的証示」によるのです。

この点について、プロテスタント信条中最も完備した告白をしているのは、「ウエストミンスター信条」(1647年)ですが、その中には実にこまかくこの点を宣言しています。

その第1章第5項に、
「我々は教会の証言によって動かされ、導かれて、聖書の言葉の尊ぶべき価値を知るようになるかもしれない。
またそのことがらの天的なること、その教えの力強きこと、その文体の荘厳なること、その全部分の一致などによって、聖書が神の言葉であることの十分な証拠を感ずるかもしれない。
しかし真にその無謬の真理と神的権威について十全なる説得を与えられるのは、吾人の心情に言葉をもって、言葉によって、証示なしたもう聖霊の内部的働きによるものである」
という意味が力強く告白されています。

ここに明らかに「教会の証言」と「聖霊の証言」との別が示されています。

「聖書正典信奉の根拠」

◉プロテスタントとカトリック

プロテスタントは、その聖書正典の信奉を、教会によって命じられたからでもなく、聖書自体の人言的尊貴によってでもなく、またその思想的内容の価値によってでもなく、一に聖書中に語りたもう「聖霊の内的証示」によって迫られるのです。

「教会の権威なくして聖書は認証的ならず」という言葉を肯定するとしても、それはどこまでもプロテスタント的理解による単なる歴史的意義においてだけです。

真のプロテスタントは、「教会において、教会とともに」、教会の信仰にあずかって聖書正典を信奉するのであって、けっして「教会の指令」によって信じるのではありません。

「そして彼らはその女に言った。
『もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。
自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。』」(ヨハネ4:42)
というヨハネ伝の言葉を引き、聖書正典認容を「信仰告白」といったカール・バルトは確かに、少なくともこの認識においては、ことの中心を把握したのであり、
「それゆえにかくのごとく、これは論証を要しないところの説得である」
といったカルヴィンの言葉を再生したものということができます。 

プロテスタントは、この「宝」を真に認識して、正しい正典信奉の根拠に立たなくてはならないのです。

正典結集過程とプロテスタント正典観史との歴史的理解は、この正典信仰をさまたげるものでもないし、また助けるものでもありません。

その結論は、歴史的認識に立つ蓋然的結論であって、それに依存すべきものでもなく、またそれに脅やかされるほどの確実性をもつものでもないのです。

聖書正典への信仰は、歴史的理解より次元の高いものなのです。

近代プロテスタント神学における正典観の誤りは、この歴史的研究に対する誤った認識と信頼とにその源を発しています。

すなわち左派は、正典結集過程の歴史的研究の結論により、ただちに正典結集の誤りを主張し、右派はその立場を擁護するために、歴史的研究を歪曲して自己の立場を擁護する結論を生み出そうとしました。

両者とも歴史的研究の結論が、正典信仰をさまたげるものでもなく、また助けるものでもないことを知らなかったので、過去二百年間の正典に関する論争はこの認識の欠如から発生したものです。

このことは古プロテスタント正統主義の逐語霊感論者の正典観において、不思議にも一つの矛盾として表われながら、しかも正しい方向として指し示されています。

アブラハム・カロヴィウス(1612-1686年)およびJ・クェンステット(1617-1688年)はともに、正典の決定は著者いかんによるものでなく、一に「教会の決定」によるものと主張しながら、他方にその聖書信仰は絶対的に教会によるものにあらずと強く主張しています。

J・A・ドルネルはその「プロテスタント神学史」で、この矛盾を解決せず、ただ一つの不思議な現象であるかのようにしるしています。

しかしこの一見矛盾と見えることにおいて、正典信奉への正しい理解に対する鍵があります。

これら正統主義神学者たちは、「教会の決定」において聖書正典を見ますが、しかし教会の決定において自動的決定を見たのではなく、他動的決定を見たのであり、能動的決定を見たのではなく、受動的決定を見たのであり、正典の原決定を見たのではなく、その追決定を見たのです。

したがって彼らが一方に正典を教会の決定によるものとし、他方にその正典信奉は教会の指令によるものにあらずとしているのは、けっして矛盾ではないのです。

むしろ一見矛盾と見えるこの理解において、聖書正典信奉の正しい理解があるのです。

この「聖霊の内的証示」によって与えられる正典信奉は、それがひとたび与えられてのち、カトリックのそれのように、いつしか教会の指令によるものであるかのような、伝統的にして同時に惰性的な正典肯定となる危険をもっています。

英国のファラーは、カトリックに対して、なにゆえ聖書を正典として信ずるかと問えば、彼は即座に「教会の指令」によってと答えるが、プロテスタントに対して同様の問いを問うとき、はたして幾人の者がこれに明確な答えをするであろうか、と言っています。

これは現代プロテスタントの弱点をついた言葉で、大多数のプロテスタントは、このファラーの皮肉に価するでしょう。

プロテスタント教会の有する一大危険がここにあります。

「聖書正典信奉の根拠」

◉バルト神学の誤り

プロテスタントは、そのいっさいの教義に対してこれを伝統的、惰性的または知識的肯定として受け取ることをせず、常に信仰の決断においてこれを受け取ります。

「信仰より出でて信仰に進まされる」のです。

キリストは「今」我が救い主であり、十字架は「今」我があがないです。

同様に聖書は「今」我が正典でなければならないのです。

聖書が文献であり、正典であるという両極性を有しているということ、そしてこれを認めることが聖書理解の根本義であるということは、この「今」に関係しています。

この両極性が正しく認識されるとき、常に聖書を文献とする認識に鋭く立ち、同時に聖書を正典とする認識に鋭く立つときは、この二つの認識は内にあって相克し、常に正典信奉に眼ざまされるのです。

「聖書は文献なり」といいつつ、「聖書は正典なり」と同時的にかつひと息にいうとき、伝統的、惰性的、正典肯定の中に安住することを許されないのです。

そこには不断の相互否定が要請され、恒久の緊張が続けられます。

ここにのみ生命あるそして眼ざめた聖書正典信奉があるのです。

真のプロテスタント聖書信奉の根拠であり、これこそこの根拠に立つということの意味です。

この「聖霊の内的証示」ーー正典信奉の信仰的根拠ーーとの連関で、バル卜の正典観の「弁証法的」論述を見るとき、この批判の本旨がいっそう明らかになります。

バルトは、「天的正典」と「地的正典」、「神的決断」と「人的決断」、「真正の正典」と「模写の正典」とを峻別し、この対偶の前者は後者において如実にうつされるものでなく、後者は常に前者に対する可謬的な模写であると論じています。

この論述は彼の特異な、「神の絶対的無謬性」と「人の絶対的可謬性」とを両契機とする弁証法をもって論述されています。

この両契機が、当面の問題として今採り上げられなければなりません。

この両契機それ自身としてなんら反対すべき点はありません。

しかしこの二つのことが知り得られるのはただ一に、「信仰において」のみです。

神は人の内に「信仰」を起こさせ、彼をしてその「信仰において」ご自身の確かさを信じさせたまいます。

そしてその「信仰において」信じさせられた神の確かさにより、人の「不確かさ」を自覚させたまいます。

したがって人が、神の確かさと人の不確かさについて語りうるのは、ただ一にこの「信仰において」のみです。

この順序からいえば「信仰において」が先にーーキリスト教について語られるいっさいのことに先行して語らるべきであり、神の確かさについても、人の不確かさについても、こののちに語らるぺきです。

そしてこの先行的に語らるべき「信仰において」という位置について語ることなしに、「神の確かさ」と「人の不確かさ」とについて語ることは前後転倒しています。

この両側面を語ることにより、その相互否定を反動契機として、「信仰において」という位置に飛躍しようとするバルトの弁証法は、福音的に論理的に誤っていると断定されます。

これはさらに「位置」の決定なくして、それによって起こさるべき二つの働きが語られるという純粋の論理的誤りに陥っていることを示しています。

この「信仰において」という位置は、教会を位置づける「位置」です。

教会はこの位置によって位置づけられる「場所」です。

そしてこの教会は、これを位置づける位置のもつ「確かさ」をもたせられています。

この「確かさ」は、神の確かさそのものでもなく、人の確かさそのものでもありません。

それは、神がご自身与えたまいし「信仰」の決断において、人の「不確かさ」を絶対的に否定し、その「信仰」において、教会をして受け取らさせたまいし、ご自身の「確かさ」です。

前述の誤りに陥ったバルトは、その誤りによって少なくともその正典論においては、教義学の立場である「信仰において」という位置から、その教義学的方法である弁証法のゆえに、逸脱しているのです

ここでこの「確かさ」の源泉として「聖霊の内的証示」の意義が真に見いだされます。

この確かさはこの「聖霊の内的証示」によって与えられるものであり、正典信仰の確実性はここにその起源をもっています。

「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」(ロマ書8:16)
という使徒パウロの言葉が、この「聖霊の内的証示」と確実性の関係を明瞭にしています。

パウロはここに「聖霊の内的証示」と「 私たちの霊」との共存をのべ、そこに信仰者の神の子の「確かさ」のあることを語っています。

「聖書正典信奉の根拠」

聖書正典の成立

「聖霊の内的証示」が信仰者の霊にそれ自身の確かさを投映し、そこに「私たちの霊」を応答させ、そこに 私たちの霊における確かさをもたらすのです。

同様に天的に決断された真正の正典は、教会に対する神の迫りによって、地上における人的決断において受け取られ、聖霊によって天的正典の確かさが、地的正典に対する確かさとして教会の証示をよび起こしたのです。

ここに教会の聖書正典が成立しました。

この教会の決断にあずかり、この正典を信じ得るというのは、一に「聖霊の内的証示」によるのです。

この「聖霊の内的証示」は、
「御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。」(ロマ書8:16)
のように、時代時代の教会に、そしてその肢である各信仰者に、
「私たちの霊の証示」
をもって応答させ、ここにそれ自身の確かさをもって投映するのです。

ここに時代時代の教会において、その肢である各信仰者の内に、神の確かさそのままでもなく人の不確かさそのままでもなく、神が人に与えたまいし信仰において神の「確かさ」が人の「不確かさ」を圧倒的に否定することにおいて人の上に投映された「神の確かさ」が与えられるのです。

そこにはバルトがいうような恒久的不確かさはありません。

「信仰における確かさ」として天的正典が受け取られるとき、そこにバルトのいうような不確かさのあろう道理がありません。

恒久的不確かさがあるところに「聖霊の内的証示」があるのは、この「ある」を克服するためです。

もしこの信仰における確かさが、なお人間の不確かさであるというならばキリスト教のいっさいの信仰には確かさが存在しないことになります。

さらに聖霊によって信じさせられる、その信ずるという決断における確かさも、同様に不確かさそのものとなり終わってキリスト教は人間の自己投映としてのファンタジーになるのです。

この「信仰において」によって位置づけられる教会が受け取らされた「確実性」のあり方をみます。

それは「信仰的主体的」と「教義的対象的」との両契機をもっています。

この相反性は一つの肯定面における相反性です。

この両者は肯定と否定とにおける相反性をもつのでなく、肯定における主体的あり方と対象的あり方における相反性をもっています。

聖書を正典として肯定するという場合、これには肯定における二つのあり方があります。

一は、一つの教義として教えられ、これを反省することもなく、信仰的に問うこともなく、ただそのままに「受け入れている」というあり方です。

他はこれを反省し、信仰的に問うことによって、正典信奉に実存的に立たされるあり方です。

この二つのあり方において、前者においては「聖書は確かに正典である」と知識的対象的に受け取られている「確かさ」があるし、後者においては前述の「聖霊の内的証示」によって応答させられた「わたしたちの霊」の証示における神の確かさの投映の「確かさ」があります。

一は他の影であり、他は一の実体です。

聖書正典のこの「確かさ」は、神の確かさと人の不確かさとに分かれないことはもちろん、バルトのいうように、肯定否定という相反性にあるものとして、理解されてはなりません。

したがってこの「信仰的主体的」あり方と「教義的対象的」あり方との両側面こそ、それが真に理解されるときは、まったく相反的のものであることが会得できるはずで、これこそ新しい新約聖書的弁証法の両契機としてとらえられるものです。

この両側面は相反として語られてはいますが、それは教会内における相反であって、パルトの肯定と否定とのように、教会をまたいだ彼岸と此岸とにあるのではありません。

この意味で、真にバルトの意図を生かし、彼の誤りを訂正するためには、この教会をまたいでいる二つのものを捨てて、教会の内におけるこの実存的と対象的との両契機を採らなければなりません。

ここに彼の弁証法を生かす唯一の道があります。

次にバルトの弁証法に対する批判と修正とは、当面の問題であるバルトの正典観について、どんな具体的適用をさせるでしょうか。

一言にいえば、一方においては、神が正典を正典として教会に迫りたうた確実性を、単に教会の「向かい側」のこととせず、「信仰において」聞かされた確実性として、他方においては、その確実性が教会の「こちら側」で人間の可謬性において受け取られたものとせず、「信仰において」聞かされた神の確実性として、ともに教会内における「信仰において」という位置において、「聖霊の内的証示」によって「確実に」受け取らされたものとして修正されなければなりません。

ここにこそ正典信奉に対する「聖霊の内的証示」の本来的意義が見いだされます。

換言すれば聖書正典は、神の絶対的確かさが、人の絶対的不確かさをこえて、教会をして「信仰における応答において」受け取られたものなのです。

これが「信仰において」聞くということであり、「信仰において」聞かされるという言葉の意味です。

⚫︎信仰における確かさ

この「信仰における確かさ」は、絶対に神の確かさと人の不確かさとに、たとえ観念においてだけでも、区別できるものではありません。

もし分かれるとすれば、くり返して言いますが、信仰的実存的の面と、教義的対象的の面とに相反的に分かれるだけです。

バルトによって「未終結」と理解されるといわれた正典結集史は、まったく「既終結」のものとして、被増減的に見られた正典は、絶対的に非増減的に、被置換的に見られた正典は、絶対的に非置換的に「信仰において」受け取られ、そして「信仰告白」として表示されます。

これこそ「教会において、教会とともに」聞くという言葉の、真の神学的意義です。

この修正された正典観は、教会のすべての人々に、一人一人に「信仰的主体的」に受け取られ、信奉されるとはいえません。

そこには常に教会からそう聞かされて、「教義的対象的」に受け取っている大部分の人々がいます。

ここに修正された弁証法の両契機の具体的な「日々」新たに生かさるべき意義があります。

そしてこの両契機の高次的止揚点である「岩石の背」に立って、各人は「教会において、教会とともに」正典信仰を信仰の告白として告白し得るよう信じようとします。

そこにおいてはじめて正典非増減性と非置換性とが、信仰的に明らかにされます。

聖書正典の必然性」

古プロテスタント教義学は、聖書は与えらるべくして与えられたという意味において、聖書正典の「必然性」という語を用いました。

これはきわめて正しく所与としての聖書の意義を指示した用語です。

聖書が世界に与えられているということは、それ自身神の恵みによることであって、恵みのゆえ以外に聖書は存在しなかったでしょう。

したがって聖書との関係で起こる人間のいっさいは、すべて神の恵みの中に起こることです。

人間が聖書という語を「聞き」、その書に「近づき」、その1ページを「読み」、それに「感動させられる」ということなど、そのいっさいが恵みによることで、恵みの中において「のみ」起こりうることです。

この聖書は、このような恵みのたまものでありながら、その形態は、ふつうの古文書と変わることなく、人間の文字と、人間の言語と、人間の表現で、書かれた一冊の書物として、この世界の人間の前に与えられています。

それはあたかもイエス・キリストが、人類救拯の唯一の道であり、受肉した神の子であるのに、その形は「しもべのかたち」においてこの世にありたまいしごとくです。

それゆえに人々は、彼を受け入れずまた彼をあざけったのです。

聖書も「人の言葉」の形で、この世に与えられているので、あらゆる批評と侮蔑とを受けています。

しかしこの「しもべのかたち」のキリストがこの世から去られてのちは、この「人言のかたち」において存在する聖書が、神と人との間の唯一の道として、考えられ、受け取られているのです。

聖書のこの所与性に関する正しい認識こそ、福音主義的聖書理解の基本的条件なのです。

聖書のこの所与性について、キリスト教会においては、歴史的と神学的と両様に考えられてきました。

「一冊の書物として万人の前に与えられている現形の聖書」が、その歴史的ならびに神学的の特異性において理解されてきたのです。

@聖書の歴史的必然性。

聖書はキリスト教について、そしてイエス・キリストについての「原記録」であり、またその教えについて知るための「唯一の道」です。

キリスト教はイエス・キリストとその使徒たちの宣教について知らずには知り得られないのですが、それらのいっさいについて知るには、一に聖書によるほかはないので、聖書をおいてほかに道はありません。

不思議にも歴史的事実として、新約聖書以外にこれについて教える記録は、一つも存在しません。

ヨセフスのイエスに関する記述は、今日では後世の挿入であることが定説です。

もし新約聖書が存在しなかったとしたら、今日キリスト教の信仰の道は、どんな形をもっていたでしょうか。

たといそれがなくならなかったとしても、そのいっさいは今日のそれとはまったく異なったものとなっていたでしょう。

人間が記録なしに一つの教えを伝えるとなると、わずか一世紀の間にさえも、まったく異なったものになって、その最初の姿とは似てもつかぬものになってしまうものです。

またこのことは、現実の歴史的の一例として、宗教改革を考えるとき、ただちに明らかになります。

当時聖書があり、ことに新約聖書があってさえ、それは書物として普及していなかったし、またそれを読むべき知識も一般にゆきわたっていなかったとはいえ、キリスト教そのものが、その真のあるべき「原始的」の形態とは、まったく異なってきてしまったのであって、そのために宗教改革が起こったのです。

新約聖書があってさえ、こうですから、もしそれがなかったとしたら、キリスト教はどんな形になっていたか。

また宗教改革によって、その「原始的」の形を取りもどすことができたというのも、新約聖書があったればこそで、それがなかったとしたら、原始的の形にかえるということもできなかったでしょうし、またかえるという必要さえ考えられなかったでしょう。

こう考えてくると聖書の所与性は、当然聖書の必然性となってきます。

過去において教会の中においてさえ、しばしば聖書が書かれたためにそして結集されたたために、キリスト教が儀文的になり、その精神の自由がさまたげられた、という聖書の必然性否定論が出ましたが、そのたびにそれはそのままその時かぎりの議論となってしまいました。

有名な極端な自由主義神学を代表する米国コルゲート大学の神学教授ニュートン・クラークは、
「キリスト教は書物宗教なりや?」
および
「聖書が吾人にキリストを与えるか、キリストが吾人に聖書を与えるか?」という二つの問いを出して、これに彼自ら次のように答えています。

第一の問いに対しては、
「キリスト教的啓示は、書物においてあるいは書くことや口授においてなされたものでなく、生活と行為とにおいて、ことに生けるキリストによって与えられたものである。
それは実に書かれるために与えられたものではなかった。
もし聖書が全然書かれなかったとしても、キリスト教は生き続けたであろう」
と答えています。

のちの問いに対しては、
「キリストが吾人に聖書を与える。
旧約書はキリストのために準備した啓示のゆえに存在せしめられたものであり、新約書はキリストのゆえに存在せしめられたものである。
もしキリストがなかったならば聖書というものはなかったであろう。
しかしよし聖書が無かったとしても、キリストはやはり彼自身であったであろうし、また人々は、彼によって救われたであろう」
と答えています。

これは聖書の必然性否定の極端な一例です。

このクラークのこの必然性否定は、そのキリスト教なるものが、まったく一つの精神主義的倫理宗教であって、真の意味の福音的キリスト教ではなかったからこのようにいい得られたのです。

カール・バルトはカトリック教会の使徒的伝承について論じながら次の言葉をしるしていますが、この言葉は同時に、当面の問題である聖書の必然性に関してきわめて適切な説明を与えるものです。

バルトは、
「たしかに彼の教会に神は一つのしるされざる、霊より霊にそして口より口にそれ自身を続ける預言的使徒的伝承の形において正典を与えたもうということを喜びだもうかもしれない。
人は教会において現実の正典のほかにあるこの種類のものが存在するということを争うことはできない。
しかしながらこのしるされざる霊的口伝的伝承を彼の教会の正典となしたもうことが神のみ心にかなえりとする場合、その時には正典は教会の生命自身からほとんど区別すべからざるようになりはしないか、それはあたかも吾人が吾人の血管に流れている吾人の祖先の血を吾人自身の血から区別することができないようなものである。
というのは教会はその時自分自身のみであり、自分自身にそして自分自身の活力に支持されるようになることを意味する。
というのはさらにかかる教会における霊的口碑的伝承においてどんなものがありうるとしても、それには文書という性格がないために、教会に対峙する止揚すべからざる権威としての性格がもち得られないのである。
記録せられざる伝承においては、教会は語りかけられるということはなく、反対に自分自身との対話に置かれるだけである。」

このバルトの言葉のように、教会はもし記録された神の言葉すなわち「聖書」が正典としてこれに与えられなかったとすれば、まったく対話者を失い、したがって、反省へのきよき刺をもつことができず、その結果邪道に陥っても、最初の正しい道にかえるという警告を聞くことができないでしょう。

否、邪道に踏み込んだということすら気づく機会なく、その邪道を無自覚にそのまま進み行くでしょう。

前述のクラークの言葉をこのバルトの言葉と対照するとき、その正邪当否に対してここに注を加える必要はないでしょう。

以上の記述が示し、また歴史が証明しているように、キリスト教の存続は一に聖書にかかっています。

この事実はどんな反聖書論が出ようとも否定出来ないことですし、また教会自身これを深く認識しています。

聖書正典の必然性

聖書正典の神学的必然性

この点について教会はこれを二つに分けて考えてきました。

@神が人間の救拯に関して、その管として聖書のみを用いたもうことをいうのです。

神は、何の契機なく人間に語りたもうことができるし、またどんなものをも道具として人間に語りかけたもうことができます。

これは旧約聖書が示しているところです。

しかし、聖書がひとたび教会を通して与えられた今日は「聖書を通してのみ」人間に語りたもうのであり、また人間に語りたもう時は、彼を聖書に近づくように導きたまいし上、「聖書の言葉を通して」彼に語りたもうのです。

したがって今日は、聖書を通さずに、神が人間に語りかけたもうことは、絶対にないのです。

A人間は、聖書を通さずに「救拯の神」を知ることは、絶対に出来ないということです。

もちろん人は自然を通し、種々の文学を通して、神に「ついて」知ることはできます。

しかしそれはイエス・キリスト において自現なしたまいしの神「自身」ではありません。

換言すれば、キリストにおいて自現なしたまいし神を知る道は、聖書を通してという「一途」あるのみです。

「聖書なくしてキリスト教なし」というのが、プロテスタントの正統的聖書観です。

しかしここで一応注意しておかなければならないのは、一見なんら聖書を通すことなくしてキリスト教の神に近づき、 救拯の信仰を与えられる場合があることです。

たとえばキリスト教文学に接し、またはキリスト教徒に接して、信仰に導かれるという類です。

しかしこれはけっして聖書を通さずにということにはなりません。

同時に聖書を通してという言葉の意味が、直接的限定の意味に理解されてはなりません。

上述の場合においては、明らかにその文学がキリスト教文学であるかぎり、その源泉を聖書にもっているのですし、ことにそのキリスト教徒は、聖書によって養われている者であって、両者とも「聖書から」出たものです。

したがって前述の「聖書を通してのみ」というプロテスタント的聖書理解は、事実と矛盾するものではありません。

これは単なる一例に過ぎないのであって、この意味における聖書理解は、けっして偏狭な直接的限定において理解されてはなりません。

この聖書は、第一に教会に与えられ、第二に世界に与えられたものです。

それはどんなことを意味するでしょうか。

キリストの教会は、
「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」(Uコリント5:19)
といわれているように、和らぎの福音宣教の任務をゆだねられているのです。

この任務を果さなければ、教会の存在理由はおのずから消滅するし、この任務を果し得れば、はじめて教会として存立することが許されるのです。

教会がこの「和らぎの福音」を宣教するところとして正しく存立するためには、常に教会自身がそれによって自己反省に至らるべき「権威と基準」とが必要となります。

教会は、それが地上の罪にある人間の間に存在する秩序であるかぎり、不断に自己充足の危険があり、独語の世界に安住する危険にさらされています。

したがってこの危険から教会を免れさせ、常に教会が対話の世界にいるために「権威と基準」とが必要となるのです

この権威として、基準として与えられたのが聖書「正典」です。

教会はこれによって常におごそかに自己に対立する、そしてまったく自己をこえて、自己に対して権威として君臨する「基準」を意識させられます。

この権威としてまた基準として、文献という具体的姿をもつ聖書正典が与えられたということには上述の聖書の必然があったのです。

所与としての聖書を正しく理解する者は、必然としての聖書の理解に必ず導かれます。

以上のように聖書正典は、歴史的にまた神学的に必然であったし、また必然です。

聖書の所与性を正しく理解するとき、その必然性が必然的に理解されます。

◉聖書正典の権威性

「されば、次のことを定かなる公理たらしめよ。
すなわち第一に律法と預言者たちとのうちに、次に使徒たちの文書のうちに包容されているもの以外のものを、神の言葉として、これに対し、教会のうちに場所が与えらるべきではなく、また彼のみ言葉の規定と規範とによる以外には、教えることの正しき方法が教会のうちに無いということこれである」
とは、改革者カルヴィンがその「キリスト教綱要」(第4篇第8章8)にしるしている言葉で、聖書「正典の」権威を最もよく解明した言葉です。

この言葉はプロテスタント諸信条によって、それぞれの用語と表現とで、告白されたことで裏書きされています。

ドイツ・ルター教会で、アウグスブルグ信条が公にされてのち、諸種の論議が行なわれ、はげしい論争にまで進んだので、1577年その最後の告白である「一致信条」が起草され、同80年公にされましたが、その中に「あらゆる教義と論争の正邪決定の基準および規範として」旧新約聖書の預言者たちおよび使徒たちの書物が尊重されるべきことを信じ、告白し、教ゆるとのべられています。

さらに改革教会の「第1ヘルヴェチヤ信条」(1536年)では、その冒頭に神に対する真の認識、愛およびその光栄につき、正しく真である敬虔に対し、尊ぶべきかつ神的な生活に関する「最古の、最も完全なそして最も高き教え」をもち、そのすべての必要なるものを含むものとして「聖書」を規定しています。

この告白は、すべてのプロテスタント信条に共通なもので、その頂点が英国の「ウエストミンスター信条」(1647年)に見られます。

この告白の第1章で、正典である聖書のいっさいの問題が、最も完全な形において告白されています。

プロテスタント神学史に現われた正典観はすでにその批判が加えられたように、種々異なった形において現われてきましたが、その最も正しい形においては、「ウェストミンスター信条」におけるように、キリスト教会の絶対的権威たるものです。

これがカルヴィンのいう、キリスト教会の「定かなる公理」です。

この絶対的権威であることにおいて、プロテスタント信仰とその神学とに対する聖書の位置が見いだされます。

キリスト教信仰と神学とは聖書に始まり、聖書を軸として廻転進行し、そして聖書に終わるというべきです。

「始まり」とは、聖書を始点とする意味であり、「軸として」とは聖書を拠点とすることであり、「終わる」とは聖書を極点とすることです。

この意味で、キリスト教においては、聖書とその連関が3つあります。


❶キリスト教認識の唯一の源泉としての聖書との連関、すなわち「下より上へ」の関係で、

❷キリスト教信仰の唯一の権威としての聖書との連関、すなわち「上より下へ」の関係で、

❸キリスト教教義の唯一の限界としての聖書との連関、すなわち「横より横へ」の関係です。


❶の「始点」としての関係とは、聖書なくしては、キリスト教に関するいかなる意味の認識もあり得ない、という関係で、キリスト教が何であるかは別として、それは唯一に聖書を通してのみ知られ得るという意味における関係です。

❷の「拠点」としての関係とは、キリスト教神学が、どんな時代、どんな場所において研究され、また建設されようとも、その当否正邪を決定する唯一にして絶対の権威は、聖書であるという意味です。

それは時代精神でもなければ、神学者の意見の総和でもなければ、あらゆる学の結論でもなく、一に聖書を拠点とし、その権威によって判定されるという意味における関係です。

❸の「極点」としての関係とは、どんな人が神学しようとも、どんな時代と場所とにおいて神学が建設されようとも、その中にいかなる問題が論述されようとも、その論述の範囲と限界とは、聖書によって決定される、という意味における関係です。

❶の関係と❷の関係とは一般的に認められていますが、❸の関係は、比較的注意が払われていません。

カルヴィンはこの点について明瞭に(綱要第3篇21章3)、
「聖書は聖霊の学校であって、この中には、知ることが必要かつ有用であるものが、一つも見すごされていないように、知るを要すること以外のなにものもが、教えられていない」
とのべています。

いうところは罪人のその救拯に必要なことのいっさいは、聖書中にのべられているし、聖書にしるされていること以外のことは、 救拯に不必要である、という意味です。

この言葉は、この❸の関係である「極点」としての聖書が、信仰と神とに対して有している関係を示しています。

キリスト教神学はそれゆえに、それが論ずるあらゆる論述の限界を、聖書によって決定すべきです。

キリスト教会二千年の歴史に現われたあらゆる異端説は、すべてこの聖書をこえていったところに、その発生の原因をもっています。

「だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。
その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。」(Uヨハネ9節)
とは、このことを教えた言葉です。

ここでこの「キリストを超えゆく」ということに、なおほかの一つのこえ方のあることを知る必要があり、それを警戒する必要があります。

それは罪人の救拯に関する一つの点について、聖書の記述するところが、論理的徹底を欠き、中途に佇立しているかのように見える場合がありますが、その時人間はこれを自己の論理をおし進め、人為的にその結論を出そうとします。

これがここに言うおそるべき「キリストを即超えゆく」ほかの一つのこえ方です。

エーミル・ブルンネルはこの点につき、いわゆる二重予定の問題と聖書の教えとの関係を次のようにのべています。

「聖書の告知するところはかくのごとくです。
しかしながら二種の神意に関しては、すなわち神はある一人の人を永遠のむかしより永遠の生に入らしめんために選びたまい、そしてまた他の一人を永遠のむかしより永遠の滅亡に投げ入れんとさだめたもうという二種の神意に関しては、聖書の中にはまた一語も語られてはいません。
私たちは聖書の教えからこの結論を導き出さざるを得ません。
この結論を避けることはほとんど不可能です。
論理は常に私どもをその結論に導きます。
しかしながら聖書それ自身はそれをいたしません。
そしてまた私どももそれをなすべきではありません。
私どもは聖書をかく不均斉のままに放置しておきたいと思います。
それが現在あるとおりに、すべての部分を通じて、放置しておきたいと思います。
しからずんば私たちは、聖書を根底から破壊してしまいます。
聖書は選びの神意を教えます。
それはまた不信なる者の審判を教えます。
それはまた何ものも神の意志なくしては起こらないということを教えます。
しかしながら聖書はどこにも、ーー私はもう、一度くり返して申します。
同一の言葉をもってではありませんが、永劫加罰の神の永遠の決意を教えはいたしません。
永遠の選びの教説はただに聖書的であるばかりでなく、まさしく、本来、聖書の中核であり、福音の心髄であります。
かかるかぎり、この永劫加罰のおそろしい教説は聖書に反するものであります。
私たちの悟性はもはやそこまではついて行きません。
そうして神の言葉に関する場合、事情はいつでもそうであります。
二種の神意に関する教説は、人間の論理の産物であります。
人間の論理は非論理的な聖書の教えにたえ得ません。
私たちは永遠の選びを歓喜し、地獄への落下を恐怖します。
私たちはパウロとともに申します。
『されど、我等は救はるるものなり』
と。
また私たちは彼の警告を聞きます。
『そこに立てるものは倒れざるやう心せよ』
と。
なんとなれば、元来、ひとは明らかに審判をのがれ得ないのであると。
このたしかなる約束とこの警告との間にキリスト者の生活は動かなければなりません。
あたかも二つのちょうつがいのついている扉のように。そしてそれは二つのちょうつがいのいずれからも取りはずすわけにはいきません。
そうでなければ、それがもはや『動か』なくなります。」

長々とこの引用をしたのは、この引用に現われた、「キリストを超えゆく」ゆき方があることをもう一度我々の頭脳に明記する必要を感ずるからです。

同時にこの引用中にいわれている「非論理的な聖書の教え」それ自身の論理の前に屈服することを学ぶ必要があるからです。

聖書を「極点」とするということはこのことを意味します。

これを学ぶことによって、はじめて聖書が「拠点」とされることとなるのです。

このことは、聖書中の相矛盾した二つの言葉によって解釈者の内にその止揚点が形成させられるということと混同してはいけません。

この矛盾した二つの言葉による止揚の一点は、この二つの言葉が真に正しく認識されれば、当然にしかも必然的に読者の内にその止揚点として、この二つの言葉の要請そのものとして形成される点です。

読者の主体的理解を媒介として、そこに聖書の矛盾した言葉そのものが、自己形成をするのです。

聖書中の提言の論理的帰結の引き出されていない場合は、その聖書の言葉が、必然的にその帰結を引き出させるというのではありません。

これは人間の論理性そのものが、ブルンネルのいうように、引き出されざる論理的帰結にたえ得ざる結果引き出すものであって、その意味においてそれは人為的推論であるといわれるのです。

前者の場合は、矛盾した二つの言葉による緊張によって生かされるのであり、この生かされ方は止揚点へと生かされるのです。

後者の場合は論理的帰結を引き出されないことによって生かされるのであって、帰結と反対の方向へと生かされるのです。

換言すれば、前者の場合は「緊張」において生かされるのであり、後者は「懸垂」において生かされるのです。

この両者を混同するとき、そこにおそるべき「キリストを超えゆく」誤りが犯されることになります。

「予はいう、我々をして、キリスト教徒は彼に対して向けられたところの、神のあらゆる言葉に精神と耳とを開くことを、容さしめよ、ただし主が聖き口をとざしたもうや否や、訊求することをまた必ず止めるという抑制をもってすべきである。
学習において我々は先導したもう主に常に従うというのみでなく、彼が教うることをやめたもう場合には、我々が知ろうことを止めるということが、謹厳の最善の限界であろう」
とは、カルヴィンが前掲の言葉の直後にしるしているところです(第3篇第21章3)。

一にこの限界に立つことによってのみ、異端と誤りとに陥ることを免れうるのです。

これが聖書正典の教会に対する権威性の意味であり、また基準性の意味です。

宗教改革時代にルターが、外にロマ教会の教会主義と戦い、内に狂信者の「内なる光」を権威とする神秘主義と戦い得たのは、一にこの正典としての聖書に立つことによったのでしたが、この経験は常にプロテスタント教会のくり返すところで、教会は聖書正典に立ち、この正典への信仰によってのみ、これらの信仰的誤りから免れ得るのです。

この教会主義の誤りと神秘主義の誤りとは、常に福音主義的キリスト教を脅やかすもので、その中においてこの両者と戦いつつ、外界とのさまざまな戦いを闘いつつ、進むのがキリスト教会の歴史であり、常にこれに勝たしむるものが聖書「正典」なので、聖書が教会の基準といわれるのは、くり返してますが、この意味においてです。

教会は常にそのなすところのいっさいのことについて、この「正典」の審判を受けます。

その信仰において、その交際において、その教義において、その神学において、この正典という「審判者」の前に立たたされます。

この正典が教会の審判者となるということは、この聖書を正典として迫る「聖霊の内的証示」によってです。

換言すれば聖書という一巻の書物としての客観的存在が、「正典」として内的に権威としてのぞむこととなるのは、けっして外的なるものへの盲従によって起こることではなく、前述された「聖霊の内的証示」によるものであることが、ここでもう一度明記される必要があります。

ここに外的権威による教会主義と内的権威による神秘主義とに対する、福音主義による超克が見いだされます。

したがって、聖書正典が権威で「ある」ことは、「なる」ことによってであることを知らなければなりません。

ここに改革者が「書物とみ言葉」とを一応分かちながら、しかもこれを不可分離的なりとした理由があります。

こうして教会は自らが選択し、自らが結集したこの一巻の書物において、実に予想しなかったまったく意外な自己を審判する権威者を見いだしのです 。

教会は常にこの権威者の前に立たされ、その審判の声を聞かされ、これを解体しようとしてももはや解体することができず、その前からどうしても避け得られず、それとの対話からのがれることができないようにさせられています。

「あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となる」(創世記3:5)
として堕落した人間の群としての教会が、はじめて自己充足と独語との世界から救われることができるのです。

黙示録における「七つの教会への書簡(黙示録2:1-2:22)こそこの対話の厳粛な実例です。

【参考】「七つの教会への書簡」
エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。
わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。
また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。
あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。
しかし、あなたに対して責むべきことがある。
あなたは初めの愛から離れてしまった。
そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。
もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。
しかし、こういうことはある、あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる。
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。
勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。

スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、次のように言われる。
わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。
また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。
あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。
見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。
あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。
死に至るまで忠実であれ。
そうすれば、いのちの冠を与えよう。
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。
勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。

ペルガモにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『鋭いもろ刃のつるぎを持っているかたが、次のように言われる。
わたしはあなたの住んでいる所を知っている。
そこにはサタンの座がある。
あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。
しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。
あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。
バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。
同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる。 だから、悔い改めなさい。
そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。
勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。
また、白い石を与えよう。
この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある』。

テアテラにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子が、次のように言われる。
わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。
また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。 しかし、あなたに対して責むべきことがある。
あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。
この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。
わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。
見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。
この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。
また、この女の子供たちをも打ち殺そう。
こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。
そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。
また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教を受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。
わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。
ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。 勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。
彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。
それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。
わたしはまた、彼に明けの明星を与える。』

サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。
わたしはあなたのわざを知っている。
すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。
目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。
わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。
だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。
もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。
どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。
しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。
彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。
彼らは、それにふさわしい者である。
勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。
わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。
また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。

ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。
わたしは、あなたのわざを知っている。
見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。
なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。
見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。
見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。
わたしは、すぐに来る。
あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。
彼は決して二度と外へ出ることはない。
そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。

ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。
わたしはあなたのわざを知っている。
あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。
あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。
そこで、あなたに勧める。
富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。
また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。
すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。
見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。
だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。
それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』(黙示録 2:1-3:1-22)


「聖書正典の明瞭性」

聖書は「明瞭」です。

この言葉の意味は、聖書がその目的とする罪人の救拯に関するかぎり明瞭であるという意味です。

このことはプロテスタント聖書信仰の根本義であって、聖書を教会の絶対的基準とする以上、罪人の救拯に関してその聖書の示すところが、明瞭でないというようなことは考えられないのです。

この点に関して「ウェストミンスター信条」のいうところは、きわめて適切でありかつ明らかです。

「聖書にしるされたるすべてのことが、それら自身において同様に明瞭でもないし、またすべての人に対して明らかでもない。
しかし、 救拯に対して知られ、信ぜられ、服従せらるべき必要のあることは、学者にも無学者にも通常の方法を適当に用ゆることによって、それらのことの十分なる理解をもちうるようにいずれかの場所において明瞭に解明せられかつ開示せられている」
というのが、その第一章第七項にいわれている言葉です。

これこそプロテスタント聖書信奉の立場において、正しく理解された聖書正典の「明瞭性」です。

このウェストミンスター信条の宣言において、注意されることが三、四あります。

@聖書中にも明瞭でないことが存在するということの正しい認識です。

このことをもし否定するとすれば、それは無知でしかありません。

この不明瞭な部分の存在には種々の原因があったでしょう。

写字者が文字や語句を写しそこなって本文に損傷を生じた場合もあるでしょうし、あるいはその語句や表現が後世使用されなくなって、その意味がまったく不明になった場合もあるでしょうし、あるいは原著者の用いている象徴が後世まったく理解されなくなった場合もあるでしょうし、あるいは原著者の表現そのものがきわめて複雑であって、語句としては明らかであっても、その論理的文脈が不明である場合もあるでしょうし、あるいはその用いている特殊の語が、全聖書中に一回しか用いられていないので、その意味が不明である場合もあるでしょう。

さらにまたマルコ伝の終わりの部分や(マルコ16:9以下)またはヨハネ伝の姦淫の女の部分(ヨハネ7:53-8:11)などのように、その本文がその書物に真に属しているか否かが明瞭でない場合もあります。

【参考】
「週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた。
イエスは以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたことがある。
マリヤは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所に行って、それを知らせた。
彼らは、イエスが生きておられる事と、彼女に御自身をあらわされた事とを聞いたが、信じなかった。
この後、そのうちのふたりが、いなかの方へ歩いていると、イエスはちがった姿で御自身をあらわされた。
このふたりも、ほかの人々の所に行って話したが、彼らはその話を信じなかった。
その後、イエスは十一弟子が食卓についているところに現れ、彼らの不信仰と、心のかたくななことをお責めになった。
彼らは、よみがえられたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。
そして彼らに言われた、
『全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
信じてバプテスマを受ける者は救われる。
しかし、不信仰の者は罪に定められる。
信じる者には、このようなしるしが伴う。
すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、 へびをつかむであろう。
また、毒を飲んでも、決して害を受けない。
病人に手をおけば、いやされる』。
主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。
弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。
主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。〕」(マルコ16:9-20)

「そして、人々はおのおの家に帰って行った。
イエスはオリブ山に行かれた。
朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。
すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、
『先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。
モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか』。
彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。
しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、
『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこでイエスは身を起して女に言われた、
『女よ、みんなはどこにいるか。
あなたを罰する者はなかったのか』。
女は言った、
『主よ、だれもございません』。
イエスは言われた、
『わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように』。〕」(ヨハネ7:53-8:11)


正典の明瞭性とはこのような意味で不明な部分が、聖書中に存在することを否定することではありません。

A罪人の救拯に必要なことは、十分に明らかにしるされているという主張です。

これにはいうまでもなく消極的側面のあることが知られなくてはなりません。

聖書においてその意味の明らかでない部分は、神がその部分の理解なくしても救拯に関する知識を十分にされる、という断定がこの主張の中に含まれています。

「学習において我々は、先導したもう主に従うというのみでなく、彼が教うることをやめたもう場合には我々が知ろうことをやめるということが、謹厳の最善の限界であろう」
というカルヴィンの言葉は、この主張の消極的側面の説明として理解されるでしょう。

聖書中のある部分の不明ということは、主が教えたもうことを一時やめたもうた、と理解してよいのです。

B救拯に必要なことは、学者にも無学者にも、一様に知り得られるように教えられているということです。

これは同時に「教職」にも「信徒」にもと解されて差し支えありません。

プロテスタントの汎祭司主義は、ここでもその意義を有するのです。

教職であり、または学者であるから、聖書の 救拯に関する教えがよく理解されて、信徒であり、または無学者であるからそれが理解できないということは、プロテスタント聖書正典信仰が要請するところとまったく相反することとなります。

なにびとであっても無条件で、聖書の中に彼の救われるために必要な知識が得られるのです。

聖書は「小羊も渡ることを得、また巨象も泳がねばならぬ大河である」とはこのことをいうのです。

しかしこの断定は、どこまでも「救いに必要なること」に対してであって、聖書の一般的知識や特殊的理解についていわれたことではありません。

聖書の文学、歴史、地理、思想等々、いわゆる聖書に「ついて」の知識は、もちろん学者がくわしいし、教職がより多く知っているでしょう。

ゆえにこの主張の理解に対しては、「救いに必要なこと」という一点にのみに注意を向けなければならないのです。

C「救いに必要なこと」、この意味における聖書の理解はふつうの方法のふつうの使用によって得られるということです。

この一点は非常に限定されていることを知らなければなりません。

もし聖書の救拯について教えることの理解が、「特殊の学的方法」を必要とするということであれば、ただにふつう人のみならず、学者といえども、この理解から除外せられることとなります。

たとえ一般的学問の素養があったとしても、聖書学にくわしくないものは、この理解から除外されることとなるし、その専門を異にしていれば、他の領域においてどれだけ深く学んでいたとしても、同様にこの理解から除外されます。

したがって世界のすべての人が、その救拯のために、神学者または聖書学者に依存しなければならなくなります。

こんなことになれば、カトリック教会において、すべての人が僧職に依存していると同様の結果になって、聖書正典の与えられた意義は没却され、プロテスタントの汎祭司主義はまったく無意義にされてしまいます。

この主張はこの誤った結果を生み出さないように警戒したもので、「特殊の学的方法」の「救拯的価値」を否定したのです。

したがって人は救拯の知識を聖書より得るためには、「ふつうの方法のふつうの使用」によるだけで十分というのです。

そしてそれでもし不明な点ができたとしたら、「より明らかに語るほかの場所において求められかつ知られねばならぬ」といわれています(第一章第九項)。

すなわち「聖書を読め、さらば明らかならん」というのがこの意味です。

同時に、
「これらの原語は、聖書に興味をもち、また権利を有する人々のすべてに読み得られるというものではないゆえに、聖書の伝えられるすべての国民のふつう語に翻訳せられ、ーー彼らがふさわしき方法において神を礼拝し、聖書に示されたる慰めによって、希望をもち得るようになすべきである」
としるされています(同第八項)。

上記の数点は、この聖書正典の「明瞭性」の意義をきわめて明らかに示しています。

けっして聖書無謬論に立脚して、この明瞭性が主張されたのでないことがこれによってよくわかります。

宗教改革以来用いられてきた「聖書は聖書の解釈者」および「信仰の推論」は、単に解釈の問題に対する意義をもつのみならず、正典の正典たるべき必然的条件の果さるべき解釈的基準たることが理解せられることとなります。

以上が聖書正典の「明瞭性」の正しい意義です。

ここで一つのことが問題となります。

それは一方に、「学者も無学者も一様に」聖書を理解することができる、といわれ、他方に聖書はヒブル語およびギリシャ語でしるされていて、無学者には読むことさえできないものであることを考えると、「学者も無学者も一様に」ということが、どう考えらるかという問題です。

これはふつう翻訳書で読めばよい、という一言でかたづけられる問題です。

しかしことが信仰の死活問題に対する正典の問題であるだけに、これはそう簡単なことではありません。

翻訳は、どんな名訳であっても、原文とまったく同じであるというものはなありません。

まったく同じものは原文そのもので、翻訳とは原文と異なっているものの別名です。

そうなると、無学者に限らず、一般有識者といえども聖書原語を読むことのできないものは、その原文とは「異なっているもの」においてしか聖書を読むことはできません。

もし従来言われてきた聖書の一義性が、聖書理解の根本義だとすると、翻訳においてこれを読むというときには、原文においてとは異なる理解をもつこととなり、したがって「学者も無学者も一様に」という提言が成りたたなくなるのみならず、ここに聖書の明瞭性に関する、理論と実際との不可避的矛盾が発生します。

ですからキリスト教会は、聖書翻訳の頒布に努め、その未翻訳語への翻訳を促進しています。

このことは、教会がこの問題を自覚的に問題としていないことを示すか、あるいはすでにこれを問題としかつ解決ずみのこととしているか、そのいずれかを示すものです。

むしろこれは自覚的解決の上に立ったものとしてではなく、信仰的直観によったものと考うべきものでしょう。

これを改めてこの関係で考えてみます。

聖書の原語すなわち旧約聖書のヒブル語および若干のアラム語ならびに新約聖書のギリシャ語そのものを、今日生ける母語とする民族は地球上に一つもないということが、まず記憶されるべきです。

ユダヤ人はその学者間に旧約聖書原語の伝統的読み方を伝えてきたし、また今日ではパレスチナに住むユダヤ人はこのヒブル語を日常語として回復しています。

またギリシヤ民族はそのギリシャ語を今日なお持ち続けています。

しかし学的に考えると、両者とも聖書の原語としてのヒブル語およびギリシャ語とは異なったものなのです。

このことは今さらむずかしく言うまでもありません。

厳密にいえば、今日の人間で、それがいかなる民族に属していようとも、旧約聖書または新約聖書を翻訳しないで理解出来る人は一人も存在しません。

ユダヤ人は、人為的に復活させた現代ヒブル語にこれを翻訳して理解するし、また現代ギリシャ人はその現代ギリシャ語によってこれを翻訳し理解しています。

他民族に属する者がそうであることは言葉をまちません。

したがって今日の人間は、翻訳によってのみ聖書を理解するのであり、これによらずしてはそれを理解することはできないのです。

こう考えてくると、聖書を読むことにおいては学者と無学者との質的の別はなくなり、ただ量的にその理解の程度に差があるということになってきます。

したがって両者とも翻訳においてこれを理解することにおいては、「一様に」理解するのであって、聖書の明瞭性という点においてはその間に、なんらの差異はないのです。

しかし問題はなおここに残っています。

人が聖書において神の言葉を聞かされるとき、彼が原語の聖書を読むことにおいて、これを聞かされる場合と、翻訳を通して聞かされる場合とでは、そこに差異があるのではなかろうかという点が残っています。

もしこの点において差異があるとすればそこには信仰に関する一つの大いなる問題が発生します。

聖書を原語で読める者とそうでないと者との間に、神の言葉の聞かされ方において必然的に差異が発生するからです。

しかしこれを結論的にいうと、我々が聖書において神の言葉を聞かせられるときは、我々が現在その中に生きている「母語」においてのみ聞かせられるものであって、上述の問題は全然発生しないということです。

旧約聖書を読む者は、イスラエル人が彼らの祖先が神と語る場合、彼らの母語であるヒブル語で語っていることを当然のこととしていたことを知ることができるし、また神ご自身がヒブル語をもって彼らに語りたもうということが、当然のこととされていることを見ます。

すなわちイスラエル人は自己の「母語」において神の言葉を聞かせられていたのです。

また新約時代においても、タルソのサウロはダマスコ門外における悔改に際して、栄光のキリストが彼に「ヘブルの言葉にて」語りたもうのを聞いたとしるされています(使徒26:14)。

【参考】
「こうして、わたしは、祭司長たちから権限と委任とを受けて、ダマスコに行ったのですが、 王よ、その途中、真昼に、光が天からさして来るのを見ました。
それは、太陽よりも、もっと光り輝いて、わたしと同行者たちとをめぐり照しました。
わたしたちはみな地に倒れましたが、その時ヘブル語でわたしにこう呼びかける声を聞きました、
『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。
とげのあるむちをければ、傷を負うだけである』。
そこで、わたしが
『主よ、あなたはどなたですか』
と尋ねると、主は言われた、
『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。
わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである。」(使徒26:12-16)


この場合青年サウロはタルソ生まれの「二語」の人であって、いわゆるヘブル語を(アラム語)彼の「母語」とはいいがたいという反対論が出るかもしれません。

これに対しては真の意味における「二語」の人はあり得ないということと、真の母語は一つしかあり得ないということを、ドイツ・フランス国境に生まれ、自分自身二語の人であると考えられているアルペルト・シュバイツェルの言葉によって知ることができます。

したがってこの場合の青年サウロはその日常「母語」である「ヘブルの言葉」すなわちアラム語において神の言葉を聞かせられたのです。

この意味で、ユダヤ人であろうと、ギリシャ人であろうと、それが聖書の原語とひとしいヒブル語またはギリシャ語を日常母語としていない人間であるかぎりにおいて、彼らは他の諸民族と同様に、聖書において神の言葉を聞かされる場合、その母語である、人為的に復活されたヒブル語において、コイネギリシャ語よりもさらに退化した現代ギリシャ語においてこれを聞かされるのであって、その意味において「翻訳」において聞かされるのとなんら質的差異はもたないのです。

上記の意味で、聖書の原語そのものを日常「母語」とする民族がなくなってのちは、聖書において神の言葉を聞かされるというとき、すべての場合、人は聖書の原語とは異なる、自己の日常「母語」においてこれを聞かされるのです。

したがって聖書を原語において読めるものと読めないものと、神の言葉を聞かされる場合における差異は存在しないのです。

こう考えてくるとき、はじめて聖書の明瞭性の意義を、理論と実際において矛盾なく理解することができるのです。

そしてこのことを信仰において、理論において、矛盾なく主張し得るのです。

改革者ルターは、実に生涯を通してこの「聖書の明瞭性」という信仰的原理の上に立ち続けました。

彼にとっては聖書は、究極的に明瞭な書物だったのです。

彼の戦闘の生涯中、彼がもし信仰的に弱い人間であったら、この主張を撤回し、一部の人間の解釈を基準とし、他をしてこれによらしめることを主張すべき機会が、ほとんど数えられないほどでした。

ことに「内部の光」または「内なる言葉」のみに立ち、聖書を自己の都合のよいように主観的に解釈した狂信者の群に対したとき、彼は実にこの感を深くしたのです。

彼らによって惹起される信仰的混乱と主観的解釈とに対する煩雑さに耐え得なかったメランヒトンは、ついに「敬虔者の一致」こそ解釈の基準であるというところに逃避したのです。

しかしルターはどこまでも、「個人的解釈の自由」を固守し通しました。

これに彼が聖書のこの明瞭性の上に、信仰的に確乎と立つたからにほかなりません。

これこそプロテスタント聖書信仰の絶対的にゆずれない立場です。

「聖書正典の完全性」

聖書は完全です。

この言葉の意味は、聖書があらゆる真理を含んでいるという意味でもなく、また聖書以外の方法によっては真理一般に到達することができないという意味でもありません。

聖書は完全であるといわれるとき、この二つの誤解とそれに類するものとが、過去において起こったし、また現在においても起こり得るので、その意味があらかじめ正しく理解されなければならないのです。

「聖書は完全なり」とは、それが与えられた目的に関するかぎり、完全であり、十全である、という意味です。

古プロテスタント教義学においては、これを「目的にかなえる完全」と言っています。

この完全性はまた「十全性」とも呼ばれます。

この言葉のいう「目的」とは、人間の「救拯」をさ しています。

したがってここには二つのことがいわれています。

@人間の救拯に 関するかぎり、カトリックのように使徒的伝承のようなものはこれをいっさい必要とせず、聖書のみによって完全にその目的をまっとうすることができるということです。

A人間の救拯に関するかぎり、聖書に示されていること以外はいっさい不必要で、したがって「新しい啓示」を必要としないということです。


@は、聖書は何ものの補足をも必要としないということであり、Aは聖書の含む啓示そのものが最終の啓示であって、神はこれ以外の新しい啓示を与えたまわないということです。

したがって聖書は、「人間の救拯」という目的に関するかぎり、絶対的、他の何ものとも並列しない唯一の基準であって、他の多くの基準中の「一つ」でもなければ、またそれらの中の「最高」のものでもありません。

「けだし聖書は聖霊の学校であって、このうちには、知ることが必要かつ有用であるものが一つも見すごされていないように、知るを要すること以外のなにものもが、教えられていない」
というカルヴィンの言葉が、ここでもう一度くり返されなければなりません。

聖書正典の「完全性」とは、このことを意味するのです。

もし聖書正典がこの罪人の救拯に関し、完全でなかったとしたら、そこにいかなることが起こるでしょうか。

もし完全でないとすれば、聖書はいずれかの点において、不十分であって、その部分はどこかで、どうにかして補われなければならなくなります。

すなわちそこには二つのこれを補うべき道が考え出されます。

@「使徒的伝承」すなわち使徒より口伝をもって伝えられた救拯の秘義によって、これを補うという道であり、

A「一般的啓示」すなわち人類が創造されたとき、創造者である神より与えられ、その堕落後も彼の霊性の奥底に潜在していると考えられる始源啓示によって、これを補うという道です。


@はカトリック的立場であり、Aは自由主義神学の立場です。

こうなると、使徒的伝承はこれを保存していると考えられる「教会において」この聖書の不足を補うということになり、一般的啓示はこれを潜在的に保持していると考えられる「個人において」この聖書の不足を補うということになります。

@は、宗教改革が起こらなければならなかった事態を発生させた原因であり、Aはカール・バルトが起こされた事態を発生させた原因です。

カトリック教会は、しばしぱくり返したように、 トレント教会会議において、この@の立場を信仰として告白し、「書かれざる神の言葉」すなわち使徒的伝承を「書かれたる神の言葉」すなわち聖書と並列させてその権威としました。

カール•アダムはこの意味において「聖書の死せる言葉」に対して、教会伝承の「生ける力」を必要とするといっています。

また自由主義神学の最左翼ともいうべき立場は、米国のニュートンクラークにおけるように、聖書を上述の意味における一般啓示に対して従属的なものとするようになったのです。

これらの誤りは、すべて聖書正典の完全性を否定するところから起こっています。

これらのことを考えるとき聖書正典の「完全性」または「十全性」という意味が明らかにされます。

以上はしかしこの完全性に対する消極的の側面ですが、ここにその積極的側面があります。

聖書を信奉するということは、その信仰において信じる者が、聖書は完全なりと「信じさせられる」ということであって、彼の内にその信仰によって聖書の完全なことに対する、絶対的信頼が生まれてくるということです。

聖書が神の言葉を信じる者の心境をしるしている場合、このことが常にそこに表現されています。

「主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。
主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。」(詩篇19:7-8)
とはこれに対する旧約聖書的表現であり、
「だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。
その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。
それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(Uテモテ3:16-17)
とはその新約聖書的表現です。

この二つの言葉を見ると、聖書の「完全」であることが、常にこれを信じる者の上に働くその「能力」との関係において考えられています。

これこそが救拯に関するかぎり「聖書が完全である」という言葉の真の意味です。

「聖書正典の公同性」

聖書正典は公同的です。

過去二千年にわたる教会の歴史で、多くの異端説が現われましたが、それらが異端となったのは、けっして異端であろうとしてそうなったものではないのです。

それらは実にキリスト教の一面のみを力説し、一観点のみから全体を断定したところから、誤りとなり異端となったものです。

いうまでもなく、すべての誤りは、その中に真理をもっているから誤りでありうるのであり、すべての異端説は、その内に正統性をもっているから異端であり得たのです。

異端説の一面性は、その大部分が聖書の部分的真理に立ち、聖書の一観点よりの理解をその全体とし、これを固執しつづけ、これと異なるいっさいを排撃するところに起因しています。

この誤りはどこにその原因をもつでしょうか。

それは一言にいえば、聖書の死せる公同性に立ち、その具体的の一部分が、聖書の全体を平面的直接的に代表しうるものと考えるところに起因しています。

したがってここで問題となるのは、この正典の公同性の正しい意義であって、ひとしくこれについて語るとしても、これを語る者の間には大きな差異がありうるし、またそこには大きな誤りがあり得るということです。

聖書の公同性に対して、プロテスタント神学史に現われた三つの見方を比較することで、論旨をより明らかにします。

もちろんこの三つの見方は神学史において段階的に現われたものですが、今日も現存しています。

第一の見方は正統主義神学の見方で、聖書正典は完全性と統一性という形において公同性をもつがゆえに、そのすべての部分は矛盾なく、完全な調和をもっているとする見方です。

今日までいわゆる「聖書信仰」なるものを主張する人々の間において、聖書における思想的矛盾と相克とを、極端にきらってきたのはこのためです。

聖霊は聖書のすべての著者に働き、その真理をしるさしめたもうたので、聖書の著者相互間に、矛盾または相克などが存在するはずがない。

聖書を読む者の目に矛盾と見え、相克と映じることは、その実けっして矛盾でも相克でもなく、それはその読者の理解が低いためにそう見えるものであって、彼が聖霊の指導によってこれを読まないためである、というのがその主張です。

これは古正統主義の逐語霊感論者のいわゆる「書き取り説」が生み出す当然の結論です。

上記の立場に真向から反対し、聖書中の著者相互間の思想的矛盾相克の否定出来ない事実認識に立脚して、上述の立場を破壊することとなったのが、第二の近代的歴史的批評的聖書観でした。

しかしこの立場は、聖書の著者相互間に存在する矛盾相克に対する、正典的神学的意義を把握し得ず、これを平面的に解釈して、ついに正典の統一性と公同性とを破壊し、正典性を史料的に解体してしまったのです。

換言すれば、歴史的批評的聖書観は、古正統主義神学が、強釈(こじつけ的解釈)によって聖書の有する矛盾相克を平面的に説明し去り、これを調和として見るという、「耳をおおうて鈴を盗む」愚かさを指摘し、この矛盾と相克とに勇敢に、そして真摯に直面し、これを解決しようとしたのでした。

しかしその結果は、「解決」出来ずに、「解消」となったのです。

それはその歴史的批評なるものの当然の結論でした。

正典性という「場所」があってこそ、そこに包まれていた矛盾と相克とが真剣の矛盾と相克とであり得たのでしたが、この矛盾と相克とのゆえにこの正典性を否定し去ったこの聖書観は、この否定によって、この矛盾と相克とを死活的矛盾相克にさせている「場所」を失ったのですから、そこに結果したものは、場所的緊張における矛盾相克の「解決」ではなく、歴史的解体における矛盾相克の解消となったのです。

ここに至って聖書正典の公同性は、この立場の前に雲散霧消してしまったのです。

上述の第一の立場によって、正典の公同性なる形式は把握されましたが、その「内容」としての思想的相克矛盾が理解されなかったために、公同性そのものさえも無意味になり終わったのです。

これに反して第二の見方によって、「内容」としての思想的相克矛盾は明らかに認識されましたが、それが神学的に解決されなかったために「形式」としての公同性までが解消されることとなったのです。

しかし一つの新しい公同性理解が、第三の立場として、ここに提示します。

これは厳密な意義における聖書正典性に立脚し、この公同性をその立場から理解し、しかも聖書の有する思想的矛盾と相克とに、真剣に直面する立場です。


一言にいえば、聖書の著者たちは、それぞれの個性において神の言葉を聞かされたのであり、それが彼らの認識となり、その結果が彼らの筆によって表現されたものが聖書中の個々の書となったのです。

このことは一冊の書物の著者においても、あるいは数冊の書物の編纂者においても同様です。

したがって彼が神の言葉を聞かされ、その結果を信仰に立ってその筆により表現する場合、彼らは絶対的確信に立ち、自己と異なるいっさいの思想を否定しつつ、確乎と立っています。

「しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。」(ガラテヤ1:8)
とは、この確信を示す言葉です。

この確信に立つ人に対しては、福音は単なる一般的福音ではなく、それは実に「我が福音」であり「我らの福音」でなければならなかったのです(Uテモテ2:8)。

【参考】
「そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう。」(ロマ書 2:16)

「願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、」(ロマ書16:26)

「もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者どもにとっておおわれているのである。」(Uコリント4:3 )

「なぜなら、わたしたちの福音があなたがたに伝えられたとき、それは言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによったからである。
わたしたちが、あなたがたの間で、みんなのためにどんなことをしたか、あなたがたの知っているとおりである。」(Tテサロニケ1:5)

「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。
これがわたしの福音である。」(Uテモテ2:8 )


しかしこの「確信」は、どこまでも神の言葉が有限な一人の個性的人間に聞かされた結果として、彼の内にもたれたものですから、神の言葉そのものは絶対的ですが、それがこれを聞かされた者の個性的認識において把握された結果として表現されたいものですから、それは一面的であり、部分的です。

これを否定したところに逐語霊感論者の誤りがあったのです。

「使徒時代」という特殊な時代において、上述のような主体的に「絶対的に握られた」、しかしそれ自身部分的にして、一面的、相対的にして個性的な「確信」においてしるされた、多くの書簡があり、多くのイエス伝があったのです。

しかしこの中から徐々に「二十七巻」のみが抽出され、新約聖書正典として結集されました。

これらの諸書は相互に矛盾において相克のうちにありながら、「使徒時代」という「教会の公同性」において、すべて止揚され、福音の公同性にあずからされたのです。

結集されて新約聖書正典となったことにおいて、この特殊の時代としての「使徒時代」における教会の公同性が「正典性」において再現されました。

使徒時代そのものは過去として、永遠に過ぎ去り、永遠に失われましたが、「正典性」において「いま、ここ」に再現されているのです。

使徒時代においては、時間としては一世代をこえていましたし、空間としては個人の鳥瞰的展望をゆるさない広さをもっていたために、これらの諸著者の間に存在した矛盾と相克とは、現実的に、また実感的に受け取られにくい状況にありました。

しかしこれらの諸書が、ひとたび結集によって、正典性という「いま、ここ」において集められたとき、この矛盾と相克とは、現実的にして、しかも神学的矛盾相克として受け取られることが、可能とされたのです。

使徒時代において、そこに発生した矛盾と相克とを不断に止揚していた、教会の公同性は、聖書正典の公同性となって、それが包蔵する矛盾と相克とを止揚する「場所」となったのです。

こうしてはじめて聖書の著者または編纂者の個性は、それが「前歴史」の地盤にあったときより、正典の部分とされたことにより、より鋭くかつ高くされ、その矛盾と相克とが尖鋭化されつつ、正典の公同性によって、止揚されることにより、福音の公同的性格を、正典においてまっとうすることとなったのです。

たとえばパウロの信仰義認の主張と(ロマ書4:1-4:17)、ヤコブの行為義認の主張と(ヤコブ2:14-26)、新約聖書正典中の二書となったことで相克は高次的に熾烈となり、しかもヨハネ的立場における止揚点を(ヨハネ6:28-29)見いだすこととなったのです。

【参考】
(信仰義認)
「それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。
もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。
しかし、神のみまえでは、できない。
なぜなら、聖書はなんと言っているか、
「アブラハムは神を信じた。
それによって、彼は義と認められた」
とある。
いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。
しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。
ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、
「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、さいわいである。
罪を主に認められない人は、さいわいである」。
さて、この幸福は、割礼の者だけが受けるのか。
それとも、無割礼の者にも及ぶのか。
わたしたちは言う、
「アブラハムには、その信仰が義と認められた」のである。
それでは、どういう場合にそう認められたのか。
割礼を受けてからか、それとも受ける前か。
割礼を受けてからではなく、無割礼の時であった。
そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、 かつ、割礼の者の父となるためなのである。
割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。
なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。
もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。
いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。
このようなわけで、すべては信仰によるのである。
それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。
アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、
「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」
と書いてあるとおりである。
彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。」(ロマ書4:1-17 )

(行為義認)
「わたしの兄弟たちよ。
ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。
その信仰は彼を救うことができるか。
ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、 あなたがたのうち、だれかが、
「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」
と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。
信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。
しかし、
「ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある」
と言う者があろう。
それなら、行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。
そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せてあげよう。
あなたは、神はただひとりであると信じているのか。
それは結構である。
悪霊どもでさえ、信じておののいている。
ああ、愚かな人よ。
行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。
わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。
あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、 こうして、
「アブラハムは神を信じた。
それによって、彼は義と認められた」
という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。
これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。
同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出した時、行いによって義とされたではないか。
霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。」(ヤコブ2:14-26)

(信仰義認と行為義認の止揚点)
「そこで、彼らはイエスに言った、
「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。
イエスは彼らに答えて言われた、
「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。(ヨハネ6:28-29 )


これこそ正典の公同性に対する、第三の立場における矛盾と相克との公同性における理解です。

第一の立場において、形式としての公同性が認識されながら、内容としての相克性が理解されなかったため、公同性そのものの認識もついには平面的になり終わったのです。

第二の立場によって内容としての相克性は如実にとらえられましたが、その結果、形式としての公同性はまったく否定せられてしまったのです。

しかしこの第三の立場によって、形式としての公同性が新たに認識されただけでなく、その内容としての相克性の死活認識によって、さらに公同性そのものの認識が緊張的に生命的に強められることとなったのです。

聖書正典は上述の意味において、その中に無数の矛盾と相克を含んでいますが、しかし人がその一部分にのみ立脚し、その絶対的真理性を主張することを許されません。

正典は、この公同性によってあらゆる一面的キリスト教理解と、すべての一観点のみよりするキリスト教本質観とを審判します。

たとえそれがキリスト教のパウロ的理解であるにしてもそれが「パウロ的」という一面観に固執するかぎり、正典によって審判されます。

否「我はキリストに」というものでさえも、それが一面観であるかぎり、きびしく審かれます。

【参考】
「はっきり言うと、あなたがたがそれぞれ、
「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケパに」「わたしはキリストに」と言い合っていることである。」(Tコリント1:12)


単にそれはコリントの教会の問題のみならず、マルキオンの問題の場合においても、ほかに多くの問題があったとしても、審かれたのはこのためでした。

改革者ルターがパウロ的理解に立って、ヤコブ書をけなしたことは周知のことですが、彼はのちにその危険を感じて1545年の独訳聖書では、1522年のそれにおけるヤコブ書批判の言葉をのぞいてしまいました。

単に人言としての表現が信仰義認を語っていないというのみで、ヤコブ書を批判したのならば、パウロ的立場よりの対ヤコブ的立場の批判としてなんらさし支えないわけですが、そこに聖書正典への一面的理解として読まれる危険があったので、彼はこれをのぞいたものでしょう。

しかし、すべて信仰者が聖書を理解し、またそれからキリスト教を理解する場合、一面的であることから免れることはできないし、一観点に立って全体を見るということからのがれることはできません。

およそ信仰者が聖書において神の言葉を聞くとき、聖書中のすべての書物、すべての章、すべての節、すべての句、すべての語において、これを聞くということはできません。

その生涯を通して聖書において神の言葉を聞いたとしても、そこには必ず聖書において彼に対する神の言葉とならない大部分が、残されるに違いありません。

したがって彼が聖書に立って聖書を理解し、聖書に立ってキリスト教を理解するという場合、彼がそれを通して神の言葉を聞かされた聖書の一部分が、その基準となり観点となるのであり、必然的にさせられるのです。

ルターに対してロマ書が、その全聖書の理解の観点であり、その福音理解の立場であったように、またウェスレーに対してヤコブ書がキリスト者生活の最高基準であったようにです。

もちろん前述のように、聖書の一部を通して信仰者に与えられる「聖霊の内的証示」は、聖書全体に対する「聖霊の内的証示」です。

しかし、ガラテヤ書の一部分が「聖霊の内的証示」によって与えられた場合と、ヤコブ書の一部分が「聖霊の内的証示」によって与えられた場合とは、その与えられた「聖霊の内的証示」としては同じですが、与えられた言葉としてはまったく異なっています。

というのは、聖書に対する「聖霊の内的証示」それ自身が異なっているというのではなく、それによって与えられた言葉相互が異ならざるを得ないというのです。

これが聖書の言葉の一義性(意味が一種類だけであること。一つの意味にしか解釈できないこと。)が高調される理由です。

もしこの両者による聖書全体への証示が同一であるとすれば、ガラテヤ書とヤコブ書とが別々の書物として正典に含まれ、別々の書物としてその特殊の内容をもたせられている意味がまったく無くなってしまいます。

否、この差異がないとすれば、そもそも聖書の言語性そのものが無意義となり、神が言語によって表現され、文字によって記録されている聖書を教会に与えたまいし理由が失われてしまいます。

もし上述の論述が正しいとすれば、すべての信仰者は聖書において神の言葉を聞くといっても、その立場は必然的に部分的であり、その観点は必然的に一面的であらざるを得ないのです。

聖書正典が公同性をもつというのは、この信仰者における必然的一面性と必然的部分性とのために、誤まらせないためです。

ルターは常にヤコブ書に直面させられ、ウェスレーは常にガラテヤ書に直面させられるので、聖書が正典であり、正典が公同性をもつということがこのことを意味するのです。

換言すれば、すべての信仰者は聖書の一部分において「聖霊の内的証示」を与えられつつ、それによって聖書全体への証示を与えられることにより、正典全体という「汝」の前に直面させられるのです。

聖書の一部分において「聖霊の内的証示」を与えられるゆえに、その部分が彼に対する必然的にして絶対的な立場となります。

しかしその「聖霊の内的証示」は同時に聖書全体への証示ですから、その聖書全体は彼に対して「汝」となり、彼はこれに直面させられこれと対話させられるのです。

さらにいい換えると、信仰者が聖書において神の言葉を聞かされるとき、彼がそれにおいて神の言葉を聞かされたその部分において、聖書全体がそれ自身を自己限定するのであり、同時に聖書全体が絶対他者として、その部分的立場に立つ彼の前に対峙するのです。

これが聖書正典に対する「聖霊の内的証示」の意味であり、「聖霊の内的証示」における、聖書の全体と部分との個人に対する関係です。

教会が聖書正典に直面させられることによって「独語の世界」に堕することから救われるというのはこの意味であり、一面性に安住する危険から救われるというのはこの意味です。

聖書正典の全体と部分とが、「聖霊の内的証示」により、教会とその肢である信仰者とに対して、完全な関係を保ちうるようになるのです。

これによって、信仰者が正典中のいかなる部分に立たされようとも、彼は常に前述の意味において聖書全体の前に立たされますから、その一面性と部分性とのために誤りに陥るというおそれはないのです。

聖書正典の公同性とはこの意味です。

この公同性を有する正典は、その部分に立つ信仰者の一面観をその内に包みつつ、その内においてこれを位置づけし、その位置づけによってその公同的な世界に属させるのです。

したがって信仰者の一面観と部分観とが、どんなものであろうとも、それが聖書の部分に立ってもたせられたものであるかぎり、それは必ずその公同性の一面であり、またその部分です。

異端者とはこの公同的な正典に直面することが出来ず、これから顔をそむけ、その一面観に固執するものであり、その部分観に執着し通すものです。

この意味において、聖書正典の公同性とは、前述の正典の完全性の必然的要請であり、相互表裏の関係にあり、一は他の別名です。

すなわち前述の、
「けだし聖書は聖霊の学校であって、このうちには、知ることが必要かつ有用であるものが一つも見すごされていないように、知るを要すること以外のなにものもが、教えられていない」
というカルヴィンの言葉が、さらにもう一度この公同性との関係において再理解される必要があります。

上記の事態は、正典性の理解が動的でなければならないことを示しています。

聖書正典におけるパウロ的なものと、ヤコブ的なものとによる一面観と一面観との相克矛盾が必然的にこれを止揚させて、これら相互を、「信仰義認」と「行為義認」とを、その部分として置いている「全体」すなわち正典性に飛躍させます。

したがって信仰者が聖書において神の言葉を聞かされてもなお一面的でしかないのは、その信仰的個性的理解のためであるとともに、そうであってこそはじめて正典性に対する真の理解がもち得るのであり、その公同性への正しき認識がもち得るのです。

聖書正典に旧約聖書があり、新約聖書があり、旧約聖書において、祭司的なもの、預言的なもの、知者的なものがあるということ、新約聖書において、パウロ的なもの、ヤコブ的なもの、ヨハネ的なものがあるということ、そのこと自身が正典を公同的にさせていることであるとともに、正典の完全性は公同的であることにおいてその要請が満たされるものであることがわかります。

しかし上記の論述のみでは正典性の理解が動的であるということに対する十分の説明ということができません。

聖書の一部分において「聖霊の内的証示」により、神の言葉を聞かされるというとき、それが一面的部分的であるといわれ、同時に聖書全体が汝として、部分的理解者としての我々の前に立つといいました。

この対立関係の内容は、それではどんなものでしょうか。

ここにはじめて聖書の教える正しい意味の「論争」ということの理解が必要になってきます。

この場合たとえそれが聖書全体であろうとも、また信仰的理解が部分的であろうとも、「盲従」によって、この対立関係を解消することは許されません。

それはどこまでも「私と汝」との対峙関係でなければならないのです。

すなわちそこには死闘としての論争が、戦わされなければならないし、また戦わされます。

この論争の必然は聖書全巻に一貫して教えられていますが、それはおのずから二面に分かれます。

一は神に対する論争であり、他は人に対する論争です。

まず、前者より見ると、旧約聖書の預言者はこの論争を明瞭に記録しています。

それには神より人にいどまれた論争と、人より神にいどまれた論争とがあります。

前者としてはイザヤ書1:18およびミカ書3:1ならびにミカ書6:1-3において示され、後者としては、ハバクク書1:2-4までにおいて示されています。

そしてこの論争の帰結が、ハバクク書2:1-4に示されています。

【参考】
(神より人にいどまれた論争)
「主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。
たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。
紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。」(イザヤ書 1:18)

「わたしは言った、ヤコブのかしらたちよ、イスラエルの家のつかさたちよ、聞け、公義はあなたがたの知っておるべきことではないか。」(ミカ書 3:1)

「あなたがたは主の言われることを聞き、立ちあがって、もろもろの山の前に訴えをのべ、もろもろの丘にあなたの声を聞かせよ。
もろもろの山よ、地の変ることなき基よ、主の言い争いを聞け。主はその民と言い争い、イスラエルと論争されるからである。
『わが民よ、わたしはあなたに何をなしたか、何によってあなたを疲れさせたか、わたしに答えよ。』」(ミカ書 6:1-3)

(人より神にいどまれた論争)
「預言者ハバククが見た神の託宣。
主よ、わたしが呼んでいるのに、いつまであなたは聞きいれて下さらないのか。
わたしはあなたに「暴虐がある」と訴えたが、あなたは助けて下さらないのか。
あなたは何ゆえ、わたしによこしまを見せ、何ゆえ、わたしに災を見せられるのか。
略奪と暴虐がわたしの前にあり、また論争があり、闘争も起っている。
それゆえ、律法はゆるみ、公義は行われず、悪人は義人を囲み、公義は曲げて行われている。」(ハバクク書 1:1-4)

(論争の帰結)
「わたしはわたしの見張所に立ち、物見やぐらに身を置き、望み見て、彼がわたしになんと語られるかを見、またわたしの訴えについてわたし自らなんと答えたらよかろうかを見よう。
主はわたしに答えて言われた、
『この幻を書き、これを板の上に明らかにしるし、走りながらも、これを読みうるようにせよ。
この幻はなお定められたときを待ち、終りをさして急いでいる。
それは偽りではない。
もしおそければ待っておれ。
それは必ず臨む。
滞りはしない。
見よ、その魂の正しくない者は衰える。
しかし義人はその信仰によって生きる。」(ハバクク書 2:1-4 )


旧約預言者においては神の言葉は論争において聞かされ、人の問いは論争において答えられたのです。

虜囚以後になるとこの論争が神と人との間における重要な意志疎通の方法とされ、その実例はマラキ書において見られます。

【参考】
「主は言われる、
『わたしはあなたがたを愛した』と。
ところがあなたがたは言う、
『あなたはどんなふうに、われわれを愛されたか』。
主は言われる、
『エサウはヤコブの兄ではないか。しかしわたしはヤコブを愛し、しかしわたしはヤコブを愛し、 エサウを憎んだ。』」(マラキ書 1:3)

「『子はその父を敬い、しもべはその主人を敬う。
それでわたしがもし父であるならば、あなたがたのわたしを敬う事実が、どこにあるか。
わたしがもし主人であるならば、わたしを恐れる事実が、どこにあるか。
わたしの名を侮る祭司たちよ、と万軍の主はあなたがたに言われる。
ところがあなたがたは
『われわれはどんなふうにあなたの名を侮ったか』
と言い、 汚れた食物をわたしの祭壇の上にささげる。
またあなたがたは、主の台は卑しむべき物であると考えて、
『われわれはどんなふうに、それを汚したか』
と言う。
あなたがたが盲目の獣を、犠牲にささげるのは悪い事ではないか。
また足のなえたもの、病めるものをささげるのは悪い事ではないか。
今これをあなたのつかさにささげてみよ。
彼はあなたを喜び、あなたを受けいれるであろうかと、万軍の主は言われる。」(マラキ書6-8)

「日の出る所から没する所まで、国々のうちにわが名はあがめられている。
また、どこでも香と清いささげ物が、わが名のためにささげられる。
これはわが名が国々のうちにあがめられているからであると、万軍の主は言われる。
ところがあなたがたは、主の台は汚れている、
またこの食物は卑しむべき物であると言って、これを汚した。
あなたがたはまた
『これはなんと煩わしい事か』
と言って、わたしを鼻であしらうと、万軍の主は言われる。
あなたがたはまた奪った物、足なえのもの、病めるものを、ささげ物として携えて来る。
わたしはそれを、あなたがたの手から、受けるであろうかと主は言われる。」(マラキ書11-13)


上記の旧約聖書における神と人との間における論争は、聖書の全体と、それを汝として、その前に立たされる、聖書の部分的理解による我々との間の論争となります。

聖書の一部分において神の言葉を聞かされ、その言葉において絶対的に立たされます。

しかし、聖書の公同性は、聖書全体が、我々の前に汝として立つことを教えます。

これを避ければ異端となるし、これに直面すれば、そこに生命を賭す死闘が発生します。

しかしこれのないところに聖書の公同性の真の信仰的認識はあり得ません。

しかしこの死闘は徒労には終わらりません。

それは必ず前述のハバククに与えられた答えにおいて報いられます。

第二の人と人との論争は、新約聖書において明瞭に見られます。

パウロ書簡は、書簡の形式における論争と見ることができます。

ガラテヤ書1:8-9に立った彼は、おのれと異なるいっさいのものにこの論争を向けずしてはいられなかったのです。

【参考】
「しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。
わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。
もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわるべきである。」(ガラテヤ1:8-9 )


しかもこの人と人との論争は個人と個人との論争というよりは、指導者と指導者の論争、教会の教義決定に対する信仰的神学的論争となって現われています。

教会の教義決定は、実にこの論争に伴いたまえる聖霊によって導かれたものです。

今その実例として新約書における最も顕著な場合を採ってみよう。

それは使徒行伝十五章に現われたいわゆる「エルサレム教会会議」です。

原始教会において最も重大で危機的な問題は、「割礼」問題でした。

ユダヤ的キリスト者は、異邦人が悔改してキリスト信者となる場合、一応ユダヤ教の規定である「割礼」を受けるべきである、と主張しました。

これに対して異邦人キリスト者は、「割礼」の無用を説き、ただちにキリスト者となりうることを主張したのです。

この問題は、実に原始教会を分裂させるかとも思われた問題でした。

使徒たちはそれぞれこの派のいずれかに加わっていたようです。

主の兄弟ヤコブはユダヤ的キリスト教側の有力者であったらしいし、パウロは異邦人的キリスト教の指導者でした。

パウロが前述のガラテヤ書をしるしたのも、実にこのユダヤ的キリスト者の指導者らによって、ガラテヤ教会が攬乱されたためでした。

この問題が個人的にまでなったかということが、ガラテヤ書におけるパウロの言葉によって示されています(ガラテヤ2:1-14)。

【参考】
「その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒に、テトスをも連れて、再びエルサレムに上った。
そこに上ったのは、啓示によってである。
そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、
『重だった人たち』には個人的に示した。
それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。
しかし、わたしが連れていたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼をしいられなかった。
それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。
わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかった。
そして、かの『重だった人たち』からは彼らがどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない。
神は人を分け隔てなさらないのだから事実、かの『重だった人たち』は、わたしに何も加えることをしなかった。
それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音をゆだねられているように、わたしには無割礼の者への福音がゆだねられていることを認め、 (というのは、ペテロに働きかけて割礼の者への使徒の務につかせたかたは、わたしにも働きかけて、異邦人につかわして下さったからである)、 かつ、わたしに賜わった恵みを知って、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりの手を差し伸べた。
そこで、わたしたちは異邦人に行き、彼らは割礼の者に行くことになったのである。
ただ一つ、わたしたちが貧しい人々をかえりみるようにとのことであったが、わたしはもとより、この事のためにも大いに努めてきたのである。
ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。
というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。
そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。
彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、
『あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか』。」(ガラテヤ2:1-14)


この教会分裂をはらむ危機に当たって、幼い原始教会はどんな態度を採ったでしょうか。

ここに全興味が集注されます。

教会は妥協にもよらず、また割引にもよらず、「論争」によってこれを解決したのです(使徒15章)。

【参考】
「さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに
『あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない』と、説いていた。
そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に、少なからぬ紛糾と争論とが生じたので、パウロ、バルナバそのほか数人の者がエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと、この問題について協議することになった。
彼らは教会の人々に見送られ、ピニケ、サマリヤをとおって、道すがら、異邦人たちの改宗の模様をくわしく説明し、すべての兄弟たちを大いに喜ばせた。
エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たち、長老たちに迎えられて、神が彼らと共にいてなされたことを、ことごとく報告した。
ところが、パリサイ派から信仰にはいってきた人たちが立って、
『異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである』
と主張した。
そこで、使徒たちや長老たちが、この問題について審議するために集まった。
激しい争論があった後、ペテロが立って言った、
『兄弟たちよ、ご承知のとおり、異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにと、神は初めのころに、諸君の中からわたしをお選びになったのである。
そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなし、 また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。
しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。
確かに、主イエスのめぐみによって、われわれは救われるのだと信じるが、彼らとても同様である』。
すると、全会衆は黙ってしまった。
それから、バルナバとパウロとが、彼らをとおして異邦人の間に神が行われた数々のしるしと奇跡のことを、説明するのを聞いた。
ふたりが語り終えた後、ヤコブはそれに応じて述べた、
『兄弟たちよ、わたしの意見を聞いていただきたい。
神が初めに異邦人たちを顧みて、その中から御名を負う民を選び出された次第は、シメオンがすでに説明した。
預言者たちの言葉も、それと一致している。
すなわち、こう書いてある、
『その後、わたしは帰ってきて、倒れたダビデの幕屋を建てかえ、くずれた箇所を修理し、それを立て直そう。
残っている人々も、わたしの名を唱えているすべての異邦人も、主を尋ね求めるようになるためである。
世の初めからこれらの事を知らせておられる主が、こう仰せになった』。
そこで、わたしの意見では、異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない。
ただ、偶像に供えて汚れた物と、不品行と、絞め殺したものと、血とを、避けるようにと、彼らに書き送ることにしたい。
古い時代から、どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから』。
そこで、使徒たちや長老たちは、全教会と協議した末、お互の中から人々を選んで、パウロやバルナバと共に、アンテオケに派遣することに決めた。
選ばれたのは、バルサバというユダとシラスとであったが、いずれも兄弟たちの間で重んじられていた人たちであった。
この人たちに託された書面はこうである。
『あなたがたの兄弟である使徒および長老たちから、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟がたに、あいさつを送る。
こちらから行ったある者たちが、わたしたちからの指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ、あなたがたの心を乱したと伝え聞いた。
そこで、わたしたちは人々を選んで、愛するバルナバおよびパウロと共に、あなたがたのもとに派遣することに、衆議一決した。
このふたりは、われらの主イエス・キリストの名のために、その命を投げ出した人々であるが、 彼らと共に、ユダとシラスとを派遣する次第である。
この人たちは、あなたがたに、同じ趣旨のことを、口頭でも伝えるであろう。
すなわち、聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことに決めた。
それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。
これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。
以上』。
さて、一行は人々に見送られて、アンテオケに下って行き、会衆を集めて、その書面を手渡した。
人々はそれを読んで、その勧めの言葉をよろこんだ。
ユダとシラスとは共に預言者であったので、多くの言葉をもって兄弟たちを励まし、また力づけた。
ふたりは、しばらくの時を、そこで過ごした後、兄弟たちから、旅の平安を祈られて、見送りを受け、自分らを派遣した人々のところに帰って行った。
〔 しかし、シラスだけは、引きつづきとどまることにした。〕
パウロとバルナバとはアンテオケに滞在をつづけて、ほかの多くの人たちと共に、主の言葉を教えかつ宣べ伝えた。
幾日かの後、パウロはバルナバに言った、
『さあ、前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを、また訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか』。
そこで、バルナバはマルコというヨハネも一緒に連れて行くつもりでいた。 しかし、パウロは、前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共にしなかったような者は、連れて行かないがよいと考えた。
こうして激論が起り、その結果ふたりは互に別れ別れになり、バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。
そしてパウロは、シリヤ、キリキヤの地方をとおって、諸教会を力づけた。」(使徒行伝 15:1-41)」


この会議召集について見ると、「そこで使徒たちと長老たちは、この問題を検討するために集まった。」と言われ、次にこの会議は劈頭において「激しい論争」があった ことがしるされています。

そしてのち、ペテロが立ってコルネリオの家における経験を語り、次にバルナバとパウロが立って異邦人伝道の経験より論じ、おのおのその主張を論じつくしたのち、ヤコブが全体の論述を総括して、旧約預言者の言葉を引用し、「私の判断」と結論を与えています。

ここで論争がつくされ、各自の主張が割引なくのべられてのち、はじめてこの結論が得られたのです。

これこそ実に「三人寄って得られた文珠の知恵」でした。

この決議をアンテオケ教会に書きしるして送りましたが、そこに二つの重要な点がありました。

第一は「衆議一決した」という点で、

第二は「聖霊とわたしたち」という点です。

前者は論争がつくされたのでそこに高次的一致の与えられたことを示し、後者はこの会議に終始伴いたまいし聖霊が、この一致を与えたもうたことを示しています。

真の信仰的論争の意義がここに明瞭に示されています。 

上記のことは「論争」が、二つの方面に対して、重要であることを教えてます。

一方には、我々の前に立つ「汝」としての聖書全体にこの論争が向けらるべきであるということで、他方にはこの論争が、同信仰の人々に対して向けらるべきであるということです。

ここにはじめて聖書正典の公同性の意味が、信仰的に明らかにされます。

聖書に始まり、聖書により、聖書に終わるとは、けっして安易なる聖書味読ではないのです。

それは実に聖書を「汝」として、その前に立たせられるという、死闘における理解です。

こうしてはじめて、プロテスタントは、教会において、教会とともに、聖書正典を信ずる信仰に立ち、しかも自身の信仰的自主性を失わずに、教会の内に留まり、これに忠誠を保つことができるのです。

「聖書正典の渾一性」」
(こんいつせい)

聖書はその中に六十六冊の書物を含んでいます。

これらの書物は、年代からいえば一千五百年にわたってしるされたものであり、著者についていえば、数百人の手にょって書きしるされたものです。

またその文学的形式からいえば、歴史文学あり、預言文学あり、律法文学あり、詩文学あり、知恵文学あり、伝記文学あり、書簡文学ありというふうで、多種多様です。

思想形式から見ると、預言的精神主義と祭司的形式主義との対偶あり、包容主義と排外主義との対偶あり、世界主義と民族主義との対偶あり、ユダヤ主義と異邦人主義との対偶ありというふうに、多くの対立関係が見られます。

さらに個々の書物の主題について見ると、レビ記と雅歌、アモス書とエステル書、エゼキエル書とヨブ記、マタイ伝とヨハネ伝、ガラテヤ書とヤコブ書というような対立的主題も現われています。

これらの書物はすべて、イスラエル、ユダヤという民族的地盤をともにする以外、まったく無関係な人々の筆によったものが多く、そこに渾一性を見る可能性はほとんど考えられません。

近代聖書学はこの多様性に目を注ぎ、差別相に注意を向けたので、聖書の正典性を否定するといわないまでも、その渾一性に対してはまったく否定的態度を採ることとなったのです。

この渾一性否定は、一応もっともなことであって、元来正典の渾一性が考えられたのは、これらの書物の上記の性格を基礎として考えられたものではないのです。

こういう意味のものであったとしたら、その渾一性こそこじつけとしてしか考えられないものです。

それでは正典の渾一性はどんな点において、見られるものでしょうか。

それは一言にいえぱ、新約聖書が旧約聖書において見た渾一性です。

「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。
その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(ヨハネ5:39)
といわれた一点、すなわち「キリストへの証言」として見られた渾一性です。

教会はけっして前述の意味における多様性を、渾一性なりと強いたのではありません。

新約聖書の著者は、異口同音にこの「一点」から、旧約聖書全体を渾一的なるものと見たのです。

雅歌とエステル書中には「神」とも、「ヤーウエ」ともしるされていません。

雅歌は恋愛歌の集成であり、エステル書はルターの批評をかりるまでもなく、極端にユダヤ的なそして復讐心に満ちた書物です。

こうした書物に、「キリスト」との連関があろうなどと考えることそれ自体が狂気の沙汰です。

それらの書物の中に、それにもかかわらず、この「キリストへの証言」を見るとすれば、それはまったく特殊な渾一性であり、特殊な見方に立脚する渾一性であることがわかります。

こうした特殊の見方を否定した歴史的批評的研究方法に立脚する近代聖書学者は、むしろその学的責任をこの否定においてつくしたというべきです。

この渾一性を見るためには、まずこの特殊の見方が理解されなければなりません。

この渾一性への問いは、おのずからこの特殊の見方への問いを含んでいるからです。

このヨハネ伝の上述の見方は、きわめてよくルカ伝の著者によって説明されています。

「そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、」(ルカ24:45)
とは、復活のキリストがエマオ途上の二人の弟子に聖書を説き明かしたまいし「仕方」としてしるされた言葉です。

すなわち旧約聖書全体を「キリストへの証言」として見ることは、「心を開かれて、悟らされる」ことによってのみできることです。

「それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」(ルカ24:27)
とそこに言われているように、これがこの意味における聖書の「説き示し」方でした。

このことはヨハネ伝著者のいうところとまったく同一であって、
「もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。
モーセが書いたのはわたしのことだからです。」(ヨハネ5:46)
という彼の言葉は、前記のルカの言葉を「信じる」という語で、置き換えたものということができます。

ことにこの見方を極端に示しているのは、マタイ伝であって、この著者はイエスの生涯の各種のできごとについて、ほとんどその一つ一つに対して「ーー成就するためであった」
としるしています。

このマタイ伝のこの見方は、今日の歴史的解釈の立場からするとき、全くこじつけというよりほかには言いようのない見方ですが、これこそ実に上述の「特殊」の見方です。

古プロテスタント教義学における多くの誤りと考えられることは、実はその原因の多くをこの種の「見方」に有しています。

ただこの神学者たちは、聖書についてのこの特殊の見方を、聖書に関する一般的理性の提出する諸種の問題の理解に対しても押しつけようとしたところに、その誤りがあり、また非難と反感とを招いた原因があったのです。

今日聖書に対する歴史的批評的立場と、神学的信仰的立場との別を明瞭に教えられているので、この聖書の「渾一性」の何かと、それが立脚するその特殊の見方とを、真に理解して正しい正典の渾一性を把握しなければならないのです。   

ここでしかし一つ注意すべきことは新約聖書の理解は別として、旧約聖書の理解に関して誤りに陥らないようにすることです。

旧約聖書が「キリスト証言」として渾一性をもっているといわれる場合、その各ページに直接的にキリストを見るということを意味しません。

このことは新約聖書の著者たちが、旧約聖書を解釈している実例によって明らかです。

まずその代表的なものとして使徒行伝第七章におけるステパノのイスラエル信仰史の再解釈【末尾に引用】を見ると、それはキリストとその福音とにおいて旧約聖書を解釈したものではすが、その各ページに直接的にキリストを見ようとしたものではありません。

反対にそこにほとんどキリストという用語を見いだすことはできないのです。

あるいはまたほかの代表的実例、ヘブル書第十一章を見ても、同様のことがいえます。【末尾に引用】

ヘブル書の著者はそこに旧約聖書における信仰列伝のキリストと福音における再解釈をしていますが、前の場合と同様、キリストという語はただ一か所に用いられているだけです。

しかしその重点は、
「この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。
神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。」
という最後の言葉の上に置かれています。

これと同様のことは新約聖書中の旧約聖書を再解釈している他の多くの小さい部分についてもいわれることで、旧約聖書の渾一性はキリストとその福音とにおいて信仰的原理的に見られた「キリスト証言」において見らるぺきです。

したがって、この渾一性について語るとき、字義的機械的理解となることを極力避けなければならないのです。

これに対しては二千年間の聖書解釈史が、きびしい警告をしてくれています。

すなわちそこに連続的に行なわれてきた、聖書の寓意的解釈が、いかに恐るべき誤りを教会の中に生み出したかが、教えられています。

この人為的の強釈ーー「あれこれ借りる」インタプリテーションによって、しいて聖書を渾一的なものとする愚かさに陥らないように、自らを戒めねばならないのです。

上記のことは、再び「キリスト証言」の個性的矛盾性に思いいたらせます。

聖書のすべての部分が、「キリスト証言」であるということは、個々の部分がすべて同一のキリストを、同一の仕方で、同一の表現で、証言しているという意味ではありません。

個々の部分はそれぞれ、信仰的個性的立場においてどこまでも相対的有限的にキリストを示されたものとして証言しているのであって、絶対のキリストを、絶対に知らされたものとして証言しているのではないから、個々の証言が個性的であるのは当然です。

このことは今まで数回くり返されたことではありますが、今この関係において、さらに想起されなければなりません。

聖書の渾一性とは、それが含む個々の渾一性を意味しますが、しかしそれはどこまでも個々の証言の「キリスト証言」であることにおける渾一性であって、証言の個性的差異と矛盾とを消し去った意味での渾一性ではないのです。

ちょうど公同性という語が矛盾相克という語と調和的に考えられにくいように、この渾一性という語も矛盾相克ということとは、一致的に考えられることは困難です。

ここにこの渾一性という語の下に、機械的に調和させられたものと、人為的に一致させられたものとが、発生する危険が多分に包蔵されています。

しかしもしこの渾一性が個性的証言の矛盾と相克とを含まないとすれば、それは渾一性ではなく、単一性といわなければならないのです。

この関係において最も恐るべきは、この渾一性、単一性両語の混同です。

【参考】ステパノの証
「そこで、ステパノが言った、
「兄弟たち、父たちよ、お聞き下さい。
わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて 仰せになった、
『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。
そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。
そして、彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたがたの住んでいるこの地に移住させたが、 そこでは、遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも、与えられなかった。
ただ、その地を所領として授けようとの約束を、彼と、そして彼にはまだ子がなかったのに、その子孫とに与えられたのである。
神はこう仰せになった、
『彼の子孫は他国に身を寄せるであろう。
そして、そこで四百年のあいだ、奴隷にされて虐待を受けるであろう』。
それから、さらに仰せになった、
『彼らを奴隷にする国民を、わたしはさばくであろう。
その後、彼らはそこからのがれ出て、この場所でわたしを礼拝するであろう』。
そして、神はアブラハムに、割礼の契約をお与えになった。
こうして、彼はイサクの父となり、これに八日目に割礼を施し、それから、イサクはヤコブの父となり、ヤコブは十二人の族長たちの父となった。
族長たちは、ヨセフをねたんで、エジプトに売りとばした。
しかし、神は彼と共にいまして、 あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で恵みを与え、知恵をあらわさせた。
そこで、パロは彼を宰相の任につかせ、エジプトならびに王家全体の支配に当らせた。
時に、エジプトとカナンとの全土にわたって、ききんが起り、大きな苦難が襲ってきて、わたしたちの先祖たちは、食物が得られなくなった。
ヤコブは、エジプトには食糧があると聞いて、初めに先祖たちをつかわしたが、 二回目の時に、ヨセフが兄弟たちに、自分の身の上を打ち明けたので、彼の親族関係がパロに知れてきた。
ヨセフは使をやって、父ヤコブと七十五人にのぼる親族一同とを招いた。
こうして、ヤコブはエジプトに下り、彼自身も先祖たちもそこで死に、 それから彼らは、シケムに移されて、かねてアブラハムがいくらかの金を出してこの地のハモルの子らから買っておいた墓に、葬られた。
神がアブラハムに対して立てられた約束の時期が近づくにつれ、民はふえてエジプト全土にひろがった。
やがて、ヨセフのことを知らない別な王が、エジプトに起った。
この王は、わたしたちの同族に対し策略をめぐらして、先祖たちを虐待し、その幼な子らを生かしておかないように捨てさせた。
モーセが生れたのは、ちょうどこのころのことである。
彼はまれに見る美しい子であった。
三か月の間は、父の家で育てられたが、 そののち捨てられたのを、パロの娘が拾いあげて、自分の子として育てた。
モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも、力があった。
四十歳になった時、モーセは自分の兄弟であるイスラエル人たちのために尽すことを、思い立った。
ところが、そのひとりがいじめられているのを見て、これをかばい、虐待されているその人のために、相手のエジプト人を撃って仕返しをした。
彼は、自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかったのである。
翌日モーセは、彼らが争い合っているところに現れ、仲裁しようとして言った、
『まて、君たちは兄弟同志ではないか。
どうして互に傷つけ合っているのか』。
すると、仲間をいじめていた者が、モーセを突き飛ばして言った、
『だれが、君をわれわれの支配者や裁判人にしたのか。
君は、きのう、エジプト人を殺したように、わたしも殺そうと思っているのか』。
モーセは、この言葉を聞いて逃げ、ミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけた。
四十年たった時、シナイ山の荒野において、御使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。
彼はこの光景を見て不思議に思い、それを見きわめるために近寄ったところ、主の声が聞えてきた、
『わたしは、あなたの先祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』。
モーセは恐れおののいて、もうそれを見る勇気もなくなった。
すると、主が彼に言われた、
『あなたの足から、くつを脱ぎなさい。
あなたの立っているこの場所は、聖なる地である。
わたしは、エジプトにいるわたしの民が虐待されている有様を確かに見とどけ、その苦悩のうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下ってきたのである。
さあ、今あなたをエジプトにつかわそう』。
こうして、
『だれが、君を支配者や裁判人にしたのか』
と言って排斥されたこのモーセを、神は、柴の中で彼に現れた御使の手によって、支配者、解放者として、おつかわしになったのである。
この人が、人々を導き出して、エジプトの地においても、紅海においても、また四十年のあいだ荒野においても、奇跡としるしとを行ったのである。
この人が、イスラエル人たちに、
『神はわたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟たちの中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう』
と言ったモーセである。
この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。
ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け、心の中でエジプトにあこがれて、
『わたしたちを導いてくれる神々を造って下さい。
わたしたちをエジプトの地から導いてきたあのモーセがどうなったのか、わかりませんから』
とアロンに言った。
そのころ、彼らは子牛の像を造り、その偶像に供え物をささげ、自分たちの手で造ったものを祭ってうち興じていた。
そこで、神は顔をそむけ、彼らを天の星を拝むままに任せられた。
預言者の書にこう書いてあるとおりである、
『イスラエルの家よ、四十年のあいだ荒野にいた時に、いけにえと供え物とを、わたしにささげたことがあったか。
あなたがたは、モロクの幕屋やロンパの星の神を、かつぎ回った。
それらは、拝むために自分で造った偶像に過ぎぬ。
だからわたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ、移してしまうであろう』。
わたしたちの先祖には、荒野にあかしの幕屋があった。
それは、見たままの型にしたがって造るようにと、モーセに語ったかたのご命令どおりに造ったものである。
この幕屋は、わたしたちの先祖が、ヨシュアに率いられ、神によって諸民族を彼らの前から追い払い、その所領をのり取ったときに、そこに持ち込まれ、次々に受け継がれて、ダビデの時代に及んだものである。
ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。
けれども、じっさいにその宮を建てたのは、ソロモンであった。
しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。
預言者が言っているとおりである、
『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。
わたしのいこいの場所は、どれか。
天はわたしの王座、地はわたしの足台である。
これは皆わたしの手が造ったものではないか』。
ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。
あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。
それは、あなたがたの先祖たちと同じである。
いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。
あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。
人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。
しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。
そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。
人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、 彼を市外に引き出して、石で打った。
これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。
こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、
「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。
そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、
「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。
こう言って、彼は眠りについた。」(使徒7:2-60)


【参考】信仰者列伝
「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。
信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。
神が、彼の供え物をよしとされたからである。
彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。
信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。
神がお移しになったので、彼は見えなくなった。
彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。
信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。
なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。
信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。
信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。
信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。 彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。
その都をもくろみ、また建てたのは、神である。
信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。
約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。
このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。
これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。
まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。
そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。
もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。 しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。
だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。
事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。
信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。
すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。
この子については、
「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」
と言われていたのであった。
彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。
だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。
信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福した。
信仰によって、ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝した。
信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い、自分の骨のことについてさしずした。
信仰によって、モーセの生れたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。
それは、彼らが子供のうるわしいのを見たからである。
彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。
信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、 罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、 キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。
それは、彼が報いを望み見ていたからである。
信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。
彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。
信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い血を塗った。
信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡ったが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ。
信仰によって、エリコの城壁は、七日にわたってまわったために、くずれおちた。
信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。
このほか、何を言おうか。
もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル及び預言者たちについて語り出すなら、時間が足りないであろう。
彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、 火の勢いを消し、つるぎの刃をのがれ、弱いものは強くされ、戦いの勇者となり、他国の軍を退かせた。
女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。
ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。
なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。
あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦しめられ、 (この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。
さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。
神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。」(ヘブル11:1-40 )


「聖書正典の限界性」

キリスト教会の聖書正典は、その内容に関して、絶対的「限界性」をもっています。

すなわち正典中に含まれた一定数の書物は、それより多かるべからず、これより少なかるべからず、と絶対的に限界づけられ、それ以外の書物は、どんな書物といえどもまったく質的に別のものとして取り扱わるべきものとして規定されています。

ここに聖書正典の質的特徴を見いだすことができます。

この正典が限界性をもっているということは、その限界を「どこに」具体的に定めるかという点において、キリスト教会全体が完全に一致しているということを意味しません。

したがって正典の限界性に対する正しい認識は、

@正典性が限界をもつということと、

A限界線決定に関しては異見が存在するということと、

を明瞭に理解することです。

@の点に関しては、全キリスト教会が、私見は別として、公的にはまったく一致しています。

Aの点に関しては、過去において三つの立場がありました。

第一は、いわゆる「大正典」の立場で、その源をエジプト・サンドリアに発し、七十人訳旧約書に具体的に表現されたもので、現今のヒブル原典の二十四巻(現代語訳においては三九巻)のほかに、いわゆる旧約外典を加える立場で、主としてアウグスチヌスの権威において肯定され、一五四六年のカトリック教会トレント教会会議において、告白されて公的となった立場です。

第二は、ひとたび現われたが途中いつしか消滅した、新約聖書中の「被疑書七巻」を否定する立場で、これを第二位正典として取り扱い、新約聖書中に置きながら、しかもほかの第一位書と別に配列するという主張です。

これは古ルター教会においてかなり多数の神学者によって主張された立場でしたが、今日ではもはやこの型においてでは存在しません。

第三は、現今のプロテスタント教会全体の公的の立場で、現代語訳聖書のように、旧約聖書三十九冊、新約聖書二十七冊、合計六十六冊をその内容とし、これより多かるべからず、これより少なかるべからず、と主張され、ほとんどすべてのプロテスタント信条に告白されている立場です。

この立場はその源をパレスチナ本土のユダヤ人のヒブル正典に現わされている正典信仰に発し、外典を含まないために「小正典」の立場とよばれ、ラテン語訳聖書ヴルガタの訳者ヒエロニムスを経て、プロテスタント教会に継承され、ほとんどすべてのプロテスタント信条において告白されているものです。

第一の立場が時としてアウグスチヌス的立場とよばれるのに対して、この第三の立場はヒエロニムス的立場とよばれます。

この聖書正典の限界性の問題は、正典に関する問題中最も異見の多い問題であって、したがって過去においてのみならず、現在においても、この点に対する反対者が非常に多いのです。

正典性を肯定しても、正典中の諸書とこれに類する同種の書との絶対的差異すなわち限界を否定する学者が非常に多いのです。

その否定の根拠として唱えられているのは、ほぼ二つあります。

第一は、一般倫理的価値基準に立つ否定論です。

この立場は歴史的批評的立場に立ち、倫理的基準をもって正典を見るかぎりにおいて、きわめて正しいと言われなければなりません。

だれでも近代の歴史的批評的聖書学と教父学とをのぞいた者で、このことを感じない者はありません。

たとえば第一の「大正典」的立場を取る者について見ると、旧約聖書ヒブル原典中の諸書と外典中の諸書とを正典として認容しながら、一方には偽典中の「十二族長の遺言」とか「第一エノク書」とかを正典からのぞき、他方には使徒的教父らの諸書と一般教父らの諸書中の価値の高いものとを正典からのぞくということに、はなはだしい無理と不合理とを感じます。

第二の立場を取った古ルター教会の神学者たちにとっては、外典偽典を正典として認めないと主張する教会が、価値においては外典的であり、著者については偽典的である「被疑書」を新約聖書正典中に編入するということは、はなはだしい不合理なこととしか考えられなかったのです。

第三の「小正典」的立場を取る者にとっては外典および偽典中の価値の高いものを正典中に編入しないということは、はなはだしい不合理としか考えられないのです。

たとえば第一マカビヤ書がのぞかれて、エステル書が入れられたのはなぜか、ベン・シラがのぞかれて、雅歌が入れられたのはなぜか、というような問いは、まったく合理的には答えられない問いとして感じられます。

一般歴史的認識と一般倫理的判断から、この問題を考えたら、現聖書正典の絶対的限界性を主張するということは、極端な無知の結果であるか、あるいは狂気の沙汰としか考えられないのです。

しかしこの歴史的批評的の見方は、「下から」の見方というべきもので、それはその限りにおいて正しいのですが、この見方をひとたび離れて、「上から」の見方または正典信仰の見方から考えるとき、正典の限界性を主張することは、前述の三つの立場のいずれに立つとしても、けっして無知の結果でもなければ、狂気の沙汰でもないのです。

前述のように、聖書全体を「キリストへの証言」とする特殊の信仰的立場から見るかぎり、前述の三つの正典観のいずれに立つとしても、それぞれの信奉する正典と他の類似書との間に絶対的限界を置くことは、きわめて当然のことと言わざるを得ないのです。

したがって聖書正典の限界性を認容するということは、正典性の基準の問題となるのです。

この基準こそ前述した「聖霊の内的証示」の与えるものです。

正典限界性に対する否定論の第二は、キリスト教会において、正典限界に関する立場が一致しない事実と、現実に三つの異なった立場の存在するという事実に立脚して、限界性の妥当しないことを主張する議論です。

すなわち、
「正典の限界線がどこにあるかということは、教会全体でかつて定まったことがないのみならず、現実にはこれに関して三つの異なった立場があるのだから、聖書正典の限界性ということは、事実上存在しなかったのだ」
という議論です。

この議論は事実的にも理論的にも大きな誤りです。

この議論が事実的に誤りであることを示すために、ハルナック教授の正典結集史研究の結論があります。

すなわち教授は限界性をもつということと具体的限界をどこに置くかという問題とを、「理念」と「事実」とに分けて、正典が限界をもつということが共通であったればこそ、事実における論争が発生したのである、そもそも限界性をもつということが考えられないところに、どこに限界を置くかという論争が発生する理由がないと論じています。

この事実の結論は、ただちに前掲の限界性否定の主張の論理的誤りの問題に導きます。

すなわちこの正典が限界をもつという点と、その限界をどこに置くかという点とは、論理的に全然次元を異にする問題で、前者が共通でも、後者について異見があり得るが、後者に異見があり得るから、前者を否定するということは誤りです。

正典の限界性に関して存在する否定論はほぽ上述の通りですが、いずれも上述の理由によってそれが誤っていることが、十分説明されます。

「正典」が限界性をもつということは、前述のように、聖書自身の正典観が示しているところであることを、今この関係でもう一度想起していただきたい。

イスラエルに神言が「律法」として与えられたとき、それは基準であり、権威でしたが、それはそのゆえに、当然「限界性」すなわちその内容の「増減禁止」を有すべきものでした。

旧約聖書を通じて正典のこの限界性についてのべているところは、申命記的記録、
「私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。
また、減らしてはならない。
私があなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令を、守らなければならない。」
と(申命記4:2、12:32)、

箴言的記録、
「神のことばにつけ足しをしてはならない。
神が、あなたを責めないように、あなたがまやかし者とされないように。」(箴言30:5-6)および黙示録的記録です。

【参考】
「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。
もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。
また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。」(ヨハネの黙示録 22:18-19)


第一の場合は、「モーセ律法」をさしたもので、歴史的にいえば、申命記的記者が申命記律法について命じたものであり、

第二の場合は、ギリシャ思想がイスラエルの青年たちを、その自由思想をもって混乱させつつあったとき、知者たちが正典である神言に対する青年たちの不謹慎な態度をいましめたものです。

第三の場合は、黙示録それ自身についていわれた言葉であるとともに、黙示録、が新約聖書の最後に置かれたという意味において新約聖書中に含まれている権威的の言葉に対するものとしても理解されたのです。


以上聖書正典は、必然的に「限界性」をもつということと、その限界は具体的に見ると、三つの異なった立場において見られていることを述べました。

これはしかし「キリスト教会」を全体的に見た場合にいわれることで、現在のプロテスタント教会は、他の二つの立場を否定し、第三の立場に立っています。

個人として見ても、キリスト者はこの三つの立場のいずれかに主体的に立っているので、その意味において当然他の二つの立場を決断的に否定し、自己所属の教会の立場に決断的に立たたされます。

プロテスタントは、その所属しているプロテスタント教会の正典信仰にあずかり、「教会において」、「教会とともに」聖書正典を信ずるのです。

すなわち聖書正典は、旧約聖書三十九冊(原典二十四冊)、新約書二十七冊、計六十六冊をもって内容とし、それより多かるべからず、それより少なかるべからずとする立場が取られるのです。

そしてこの六十六冊の書は、外典および偽典とは全然質を異にし、絶対的に異なるものとして峻別されなければならないと主張されます。

聖書において示されかつプロテスタント教会の主張するこの正典の「限界」は、しかし、聖書自身が示しているように、人間が自己の価値判断によって決定したものではありません。

それは「キリストへの証言」であるかないかによって定められた限界で、一つの書物が「キリストへの証言」として見らるべきか否かは、一に「聖霊の内的証示」によって教えられることで、教会はただこれのみによってその限界を決定したのです。

正典とはこれを正典として与えたもう神ご自身の霊が、これを基準として読むべきように教会に与えたもうもので、もしそうでないとしたら、教会が自分自身で自己に対する絶対的基準を与えるという矛盾きわまることとなります。

そして教会は自己が自己に与えたものと向かい合うというだけのことであるから、教会はよし正典の前に立つにしても、それはどこまでも「独語」の世界にあることにしかならないのです。

この意味において正典といわれる以上、これを決定することも、これに限界を与えることも、いっさいが聖霊の指導によってなされるということは当然過ぎるほど当然です。

そして後世の教会が正典を正典として信奉し、その限界を限界として厳守するということが、「聖霊の内的証示」によるということも当然過ぎることです。

これはけっして人間の希望や、気ままや、恣意や、研究の結論によって、決定される性質のものでは絶対にないのです。

さらに一歩進んで、この「聖霊の内的証示」と正典の「限界性」との連関の問題を考えます。

「聖霊の内的証示」は、それが教会に与えられたとき、聖書正典の「部分」に対して与えられたものか、あるいはその「全体」に対して与えられたものか、あるいは部分と全体とに「ともに」与えられたものか、という三重の問いです。

まず第一の場合から考えてみます。

従来教会において「聖霊の内的証示」について語られる場合、それは多く聖書の部分についての証示として語られていました。

もし部分に対する「聖霊の内的証示」とのみこれを解するとすれば、それは聖書の一語一語、一句一句、一節一節、一章一章に対する証示となって、旧約聖書全体または新約聖書全体とはなり得ないし、もちろん聖書全体とはなり得ません。

なんとなれば、教会が創世記の一章一節から黙示録二十二章二十一節まで、一語一語、一句一句、一節一節に、「聖霊の内的証示」を与えられつつ「もれなく」全体におよぶということはあり得ないことです。

したがって教会において、信仰者が、聖書において聞いた「神の言葉」を語るとき、それは聖書中のある部分について語るのであって、全体について語るのではありません。

この立場からは、聖書「全体」に対する「聖霊の内的証示」というものは、絶対に考えられないし、ましてその限界性との連関などは全然問題にはならないのです。

ここに聖書の「部分」のみに対する「聖霊の内的証示」理解の最大欠陥があります。

そしてここに正典限界性に対する無理解と否定との原因が発見されます。

第二の場合を次に考えてみます。

もし「聖霊の内的証示」が、正典の「全体」に対してのみ与えられるものとすれば、教会内の個々の信仰者が、聖書中の個々の章節の味読において「聖霊の内的証示」を受けるというとき、それはすべて全体としての聖書に対する証示であって、各個人の与えられる証示は全部同一となります。

しかるに聖書中に各種の書物があり、それぞれの一書の中に、数千数百の語句と表現とが用いられているということは、聖霊がその語句においてその味読者に与えたもう「聖霊の内的証示」が、その語句の有する独特の言語性において与えられるということです。

ロマ書第四章第三節において与えられた「聖霊の内的証示」と、ヤコブ書第二章第二十四節において与えられる証示とは異なるといわれなければならないのです。

その異なるために異なる語句と表現とが聖書中にしるされているのです。

聖書中いずれかの章節、いずれかの語句において「聖霊の内的証示」を受けても、それが常に聖書全体に対する証示であるとすれば、その語句と表現の存在の意義は全然没却されてしまうこととなります。

あり得ないことです。

教会を構成する各個人の聖書に関する経験、すなわち聖書中の特定の語句において、その語句特定の「聖霊の内的証示」を与えられ、その語句が神の言葉とされるという、その経験とまったく矛盾することとなります。

この意味において、この第二の立場が全然誤っているということが断定できます。

さらに第三の聖書の「全体と部分」に対する「聖霊の内的証示」の場合を考えてみます。

聖書に対する「聖霊の内的証示」が、もし部分に対してのみでもなく、また全体に対してのみでもないとすれば、それは部分と全体に対して「ともに」与えられるものでなければなりません。

すなわち正典の部分に対する証示が、ただちに全体に対する証示であり、全体に対する証示が、ただちに部分に対する証示であるということになります。

教会が過去において「聖霊の内的証示」について語るとき、それが意味したところは、この部分と全体とに対する証示でした。

ウェストミンスター信条における表現を見ると(第一章第五項)、そこには正典全体に対する信仰が語られているのみですが、それに先立って旧約聖書および新約聖書の書名が、一々あげられていることを見れば(第二項)、この信条における聖書に対する「聖霊の内的証示」が、「全体と部分」とに対するものであり、かつその同時的証示が意味されていることがよく理解でます。

この証示が「全体と部分」に対する同時的のものであるということは、証示それ自身の「目的」からこれを知ることができます。

「聖霊の内的証示」の与えられるのは、聖書を読む信仰者の興味のためでもなければ、安心のためでもなければ、法悦のためでもなければ、満足のためでもありません。

それは一に聖書に証されている「キリスト」と、彼を示す聖書が「正典」たることとを、「教会に対して」神的に知らしめるためです。

いうまでもなくこの「キリスト」は、聖書の一語一語、一句一句、一節一節においても証言されているし、一書においても証言されているし、旧約聖書全体においても証言されているし、新約聖書全体においても証言されているし、また聖書全体においても証言されています。

したがって一節一節において証言されているキリストが証示されるとき、その証示は同時的に全体に証言されているキリストへの証示となります。

すなわち部分的証示即全体的証示です。

この意味において聖書に関して「聖霊が内的に証示」したもうのは、部分即全体、全体即部分として証示なしたもうのです。

上述したところだけでは、聖書に関して聖霊が部分即全体、全体即部分として証示なしたもうといわれるとき、それは一つの大いなる誤解に導きやすいところがあります。

すなわち第二の場合に言われたように、聖書中のどんな一つの語句において「聖霊の内的証示」を与えられても、それは部分即全体、全体即部分としての証示で、すべてが一様に同じであるという誤解です。

ここにいうところの意味は、聖書中のある一節において、その特定の味読者に対して、「聖霊の内的証示」が与えられて、それが神の言葉とされるとき、彼はその一節の特定の言語表現においてその証示を受け、同時的に聖書全体への証示を受けるのです。

換言すれば、この時聖書全体は彼に対して、この特定の一節において聖霊により自己限定させられ、いわば、この一節を頂点とし聖書全体を底辺とするピラミッドのごとき形において、その証示が与えられるのです。

したがって聖書六十六冊中に語句の数が、X数あるとすれば、このピラミッドはちょうどXあるといい得られます。

この意味において、「聖霊の内的証示」が部分即全体、全体即部分として与えられるといわれても、けっしてその部分の言語性が無視されるのでもなく、また聖書中いかなる節、いかなる語句においても同様の神の言葉を語られるという意味ではありません。

この場合さらに進んで、この聖書の部分に対し、また全体に対し、同時的な「聖霊の内的証示」と、正典の限界性との関係が、考えられなければならなりません。

もし「聖霊の内的証示」が「部分即全体」への証示だとすれば、それは当然聖書全体を「一つの大きさ」として証示なしたもうのであって、けっして無制限の大きさとして、そんなものはあり得ないが証示なしたもうのではありません。

ここで前述の正典の「基準性」を合わせ考えなければなりません。

正典は基準ですが、この基準性は「聖霊の内的証示」によって付与されるものです。

もしこの基準性と「聖霊の内的証示」とがこのような必然の関係にありとすれば、基準性の有すべきこの限界性は、当然「聖霊の内的証示」なしたもうところであるはずです。

したがって限界性なき基準はなく、その意味において限界性を含まざる「聖霊の内的証示」はないはずです。

この意味において、聖書の正典は終結されたものであって、絶対的に限界づけられたるものだといわれなければなりません。

聖書の正典性に対する「聖霊の内的証示」が、部分的にして同時に全体的なりというと、部分のみあって全体のなかったとき、すなわち正典が結集の途上にあったときは、その全体的の側面はどんな関係にあったか、という問題が起こってきます。

この問題は当然、正典中の諸書の完成までを意味するいわゆる「使徒時代」の特殊性の問題に至らせます。

聖書正典の問題を考えるとき、それは部分から出発して全体へと考えられるものではなく、反対に、天的決定による全体を考えて地的発生の部分におよぼすべきものだと記述されたことが、正典性が部分に先行する全体として論じられたことが、今この関係でもう一度想起せられなければなりません。

正典という一つの構造をもつ「大きさ」または「全体」は、その創造者たる者の聖旨の中に、それが結集を経て具体的に存在する以前、すでにそのまったき姿において存在していたのです(詩篇119:89)。

【参考】
「主よ、あなたのみ言葉は天においてとこしえに堅く定まり、」(詩篇 119:89 )


ユダヤ・ラビらが、その「律法」の先在を固守した根本的理由はここにあったのです。

同様に聖書正典は教会がこれを結集したときはじめて存在したものではなく、天において原決定せられたものが、教会において追決定せられたのであり、神の内に原決定されたいものが人の間に追決定されたのです。

この関係においてもう一度前述された正典性の「全体的」性格が想起されなければならなりません。

したがって新約聖書正典についていうと、その最初の部分の最初の筆が下されたときからその著者は、完全な新約聖書正典の部分としてしるさしめられたものである、といわなければなりません。

換言すれば、新約聖書中の最初の部分は、最後の部分への指示において、神的意図によりしるさられたもので、この意味においていわゆる使徒時代が、信仰的に特殊な時代といわれるのです。

使徒時代が一般歴史のいかなる時代とも異なる時代であることは、古来種々の形において認容せられ、かつ論じられてきました。

その論述の形式は異なっても、この時代を一つの特異なる時代とする点においては、教会は二千年間一致してきたのです。

後述のように聖書の正典性を本質的には否定しているシュライエルマッヘルでさえも、この使徒時代の特異性を一応認めざるを得なかったのです。

一言にいうと、使徒時代の特異性は、その時代のゆえではなく、その時代が永遠と時代との交錯としての一回的できごとが起こった時代なるがゆえであり、その一回的できごとを直接に目撃した人々が、生きていたゆえです。

すなわちカール・スタンゲのいう「彼の時代」ーーイエス・キリストが受肉し、生活し、宣教し、苦悩したまいしあの時代であったために、この時代が特異性をもつのです。

またカール・バルトの言うように、新約聖書中の諸書をしるした人々が生きた時代、すなわち「この人々の存在は、我らに対しまた人類に対してイエス・キリストの存在である」といわれている人々が生存した時代なるゆえです。

すなわちこの時代全体が、正典完成のための時代であり、正典中の諸書の端緒より完成へと備えられた一つの大きさをもつ時代であったのです。

時代が限界づけられ、その時代にしるされた書物が限界づけられ、それが正典として結集されるときさらに限界づけられたのです。

言い換えればこの過程は、一つの抽出の過程であり、選択の過程であり、合わせて一つの排除の過程であり、棄却の過程でした。

これこそ聖書の歴史自身の示す選択の過程、抽出と棄却、選択と排除の過程であったと同一です。

神の選択は必然的に「限界性」をもつ。

「わたしは地上のすべての部族の中から、あなたがただけを選び出した。
それゆえ、わたしはあなたがたのすべての咎をあなたがたに報いる。」(アモス3:2)
とは、実にこの限界性を示す神の選択の古典的表現です。




posted by 道川勇雄 at 14:53 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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