2019年04月23日

「イエスは、キリストか?」ー26ー

証言による証明B

⚫︎「未完の書」としての旧約聖書と「イエスによる完成」⑵

アブラハムの実生活では、神の「根源約束」(創世記12:1-3)の目標である「万民福祉ーー平和共存」が実現されていませんから、「未完」ということになります。

しかし、ヨハネの福音書8:56の、
「あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。
彼はそれを見て、喜んだのです。」
というイエスの言葉でアブラハムの人生は「完成」されています。

アブラハムは、イエスよりも2000年以上前に生きて死んだイスラエル・ユダヤ民族の「祖」(=あなたがたの父)です。

そのアブラハムが、自分よりも数千年後のイエスの日(十字架の死と復活)を見て喜んだという言葉は、イスラエル・ユダヤ人を躓かせて余りあります。
その「躓き」を次のように記録しています。
「そこでユダヤ人たちはイエスに言った、
『あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見たのか。』
イエスは彼らに言われた、
『よくよくあなたがたに言っておく。
アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである。』
そこで彼らは石をとって、イエスに投げつけようとした。
しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。」
(ヨハネ8:57-59)

アブラハムの人生は、創世記12:1-25:10まで書かれていますが、その一生を通じて「見て、喜んだ」のでしょうが、その頂点と思われるのは、「ひとり子・イサクを神に捧げよ」(創世記22:2)と命じられ、それに従い我が子に刀を振り下ろそうとした時に、御使いによって止められます。

この時、アブラハムが知ったことは、神の「子孫繁栄の約束」(創世記12:1-3)は、自己の一族の繁栄のためではなく、全世界の人々が自分の子孫によって、祝福(古い聖書では、「福祉」となっています)を受けることを知ったことでした。(創世記22:18、下記参照)

アブラハムの子孫であるイエスの出来事(十字架の死と復活)によって、全世界に教会が出来て、「万民福祉」(平和共存)の目標に向かって宣教を続けているのですから、イサクを捧げることを決断したこの時に、確かに、アブラハムはイエスの出来事を「見て、喜んだ」と言えるでしょう。

ちょっと注意することは、パリサイ人の質問に対するイエスの答えです。
「神の国(平和共存)はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、
『神の国は、見られるかたちで来るものではない。
また〈見よ、ここにある〉〈あそこにある〉などとも言えない。
神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。』(ルカ17:20-21)

この「あなたがたのただ中にある」というイエスの言葉は、地上のイエスそのものが、「ヨベルの年」(平和共存の絶対条件)の成就者として「神の国」であることを力説するもので、イエスは端的に、そして救拯史的スケールで、「神の国キリスト」として証しされているのです。

言葉をかえれば、「イエスの現在」において「神の国」が現存していることを述べた言葉で、ここに「神の国キリスト」が人々の間に居ることが宣言され、この「神の国キリスト」において、「現在的終末」と「歴史末的終末」、「救拯と審判」とが同時的に見られているのです。


【創世記22:1-18】
これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。
神は彼に、
『アブラハムよ』
と呼びかけられると、彼は、
『はい。ここにおります』
と答えた。
神は仰せられた。
『あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。
そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。』
アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。
三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。
そこでアブラハムは若者たちに言った、
『あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。
わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます。 』
アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。
やがてイサクは父アブラハムに言った、
『父よ。』
彼は答えた、
『子よ、わたしはここにいます。』
イサクは言った、
『火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか。 』
アブラハムは言った、
『子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう。』
こうしてふたりは一緒に行った。
ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。
そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。
アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。
そのとき、【主】の使いが天から彼を呼び、
『アブラハム。アブラハム』
と仰せられた。彼は答えた。
『はい。ここにおります。』
御使いは仰せられた。
『あなたの手を、その子に下してはならない。
その子に何もしてはならない。
今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。
あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。』
アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。
アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。
そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。
今日でも、
『【主】の山の上には備えがある』
と言い伝えられている。
それから【主】の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、
仰せられた。
『これは【主】の御告げである。
わたしは自分にかけて誓う。
あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、
わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。
そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。
あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。
あなたがわたしの声に聞き従ったからである。』」
posted by 道川勇雄 at 06:14 | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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